交流掲示板|岩手県立水沢高等学校同窓会
No.1762 五輪峠  近郊シニア  2017/08/19(Sat) 13:31

最近、「江刺郡昔話」という大正時代に発行された書物を読む機会があった。

物語は民俗に関わる多くの郷土史の一つになるが、中に昔話とは別に「江刺を歩き」の一文が納められている。
「江刺を歩き」は遠野から人首、米里、伊手(現江刺区)まで歩いた見聞になっている。2月頃五輪峠を越えてる。
歩きの様子は今で言えばトレッキングであるが、山地に住んでいる民も多い時代は北上山地を南北に往来できる道は生活のためにあった。
岩手の北上川沿いは昔の生活の主な基盤である農地、山地、海が東西に区分されており、当然ながら交易のために東西を結ぶ道はある。

江刺の民話は人首川沿いで多くが収集されたと言っている。郡首府の「岩谷堂は何もないところ」になっているが、商人の町として発展したので民話がなく、作者は興味なかったのだろう。
光明寺門前の入り口に老人の亡霊が出ると言われた井戸は今でもあるのだろうか。

写真は奥州市江刺区米里側から遠野市子友町まで通じる県道174号、「江刺を歩き」とは逆の復路の道標です。五輪峠は、もちろんオリンピックとは関係ない。
五輪峠は伊達藩と南部藩の境界だった地点で、峠の今は奥州市と花巻市、および遠野市の3市の境界が交わる地点になっている。

偶然、目に留まった昔の「歩き」系の話に現代の地図を重ね合わせると意外に「昔」を「今」に引きずっていて面白く感じた身近な例でした。

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No.1766 五輪峠にある石塔  近郊シニア  2017/09/02(Sat) 10:59
峠にある五輪は不揃いの団子状の石塔です。塔の由来については諸説あるようです。

最近の食べる団子は串4つが多い。食べ物のインフレ前は5つが多かったように覚えている。

峠については、追っ手を逃れて伊達領からここまで来たが悲劇的結末になったとか、群狼に親子一家が食い殺された跡とか、よく聞くような言い伝えの真相は不明です。
近くに五輪石塔の由来を書いた碑が残っているかもしれません。
写真では五輪石塔の手前に宮沢賢治の石碑が横を向いてる。おそらく車道ができる前の旧道に面していたと考えられます。

賢治は峠を訪ねる前は「五輪」を詩にあるような勘違い。五つ団子の塔を見て「あぁ」っと感嘆、驚き、ひっくり返ったかどうか。
「五輪峠」という詩の一部には:

・・・あゝこゝは
   五輪の塔があるために
   五輪峠といふんだな
   ぼくはまた
   峠がみんなで五つつあって
   地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと
   たったいままで思ってゐた・・・

五輪峠では奥州市と遠野市は道標によって領地をしっかり主張している。賢治の郷、花巻市の領地を示す標識は見当たらない。
尖閣やシナ海のような領地争いがないから問題ないのだろう。冗談です。

写真はGoogle Mapからのものです。

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