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水高
和尚と小僧
  
  1. 七不思議
  2. 八つ房の梅
  3. 袈裟懸けの櫻
  4. 弘法の甘蕨
  5. 弘法の草餅
  6. 弘法鮭
  7. 運慶の佛像
  8. 絵馬
  9. 猫住職
  10. 鳥の巣
  11. 三枚のお札
  12. 食わん食った
  13. 寒袋


1. 七不思議   |づもな||戻る|
 水沢市黒石の正法寺は、今から六百六十年程前に、能登から来た無底良韶(むていりょうしょう)という和尚が開いた。その頃は、日本曹洞宗第三の本山だったというから、ソウトウなもんだったろう。なんといっても、日本一の茅葺き屋根も自慢だ。畳を敷けば一千四百枚にもなる。
 この正法寺には、七つの不思議な話がある。一つは、境内にある池から、夜になると、子供の泣き声が聞こえてくる。捨てられた子供だそうだが、大和尚がありがたいお経をあげて以来、泣き止んでしまった。
 二つ目は、正法寺山に、片葉の葦が生えている。なんでも義経が歩くのに、刀で刈り払って通ったからだと言う。三つ目は、稲子沢長者(気仙郡)が奉納したといわれる文福茶釜がある。茶釜の底の煤を掻き落としたところ、「痛い!」と言うし、湯を沸かそうと自在鍵に吊るせば、「熱い!」と言う。あげくに小僧に悪戯をするからと、鎖で結んでいたが、火事の時逃げれず、蓋ばかり、山形の米沢のある寺に飛んでいって、今では、釜もおとなしくなった。
 四つ目の八ツ房の梅は、別の項で書いた。五つ目は、寺の山に、虎の縞模様の斑(ふ)入りの笹が生える話。六つ目は、伊勢参りに行って、扇屋のお鶴からホヤノ扇を貰い、ホイト(乞食)と聞き違いして、娘を殺すが、後に娘の幽霊と結ばれたというのだ。最後は、大鼠が、化けて和尚を食いに来るが、永徳寺(金ヶ崎町)の姉猫に手伝って貰い、鼠を退治するが、猫二匹も死んだ。その猫の墓もある。

2. 八つ房の梅   |づもな||戻る|
 その辺にも、天満宮や菅原神社というのがある。どこのご神体も、「菅公」こと菅原道真のようだ。宇多天皇や醍醐天皇の寵愛で、大変偉くなった。だが、いつの世にも、抵抗勢力などというのがあって、しまいには大宰府へ左遷されたが、神様になった。
 ところが、菅公の妻と子供達は、反対に東の方へ流されて、こっちに来たという話だ。妻は前沢の母体に、女の子の姉と妹は、上姉体と下姉体(水沢市)に流されたそうだ。この女の子達が、大宰府から梅の種を持って来た。握り飯にでも入っていたんだろうか?
 この梅が立派な木になって、そちこちに無い実をつける。それが「ハっ房の梅」と言って、一つの花に、三つも四つも実が生る。
 菅公も学問の神様になったが、この緑りの梅も又、そこここに無い、珍しいものだと評判になった。
 それからずーっと経って、南北朝時代になって、黒石の正法寺を開いた、無底良韶という偉い和尚が、八っ房の梅の話を聞いて、どうしても正法寺に、この梅を植えたいと、貰ってきて本堂の前に植えた。
 今でも春になると、正法寺の本堂の前の八っ房の梅の古木は、流されてきた姉妹のように、ひっそりと咲く。それでか? 正法寺の山号が、「大梅拈華山」と、梅の名前になってるのは―。

3. 袈裟懸けの櫻   |づもな||戻る|
 下野(しもつけ)の国なら、今の栃木県周辺ということになるが、そこの興福寺の真空という和尚が、弟子の無底に、野球のボール位の、黒い石を見せて、無底の見ている前で、その石を空に向かって投げた。
 その後で真空は、「こりゃ無底、さっき投げた黒い石、全国を探して見つけてみよ。もしみつけたなら、そこに寺を建て、仏法をひろめよ」と言った。無底はあの石が、東の方へ飛んで行ったなと、北上川のほとりを上って来て、今の、黒石付近で、発見した。今か
ら七百年位前の、南北朝時代のことだもの、どこまで本当なのか―。
 藤橋(北上川に架かる)に近い姉体の付近から、和尚の恰好をした小僧が、正法寺の根っこまで、目印(案内)に立っている。何人立っているか数えてみたことがあるか? 最後に(答えを)教えるから。
 無底和尚の開基した川上から、細い川が流れている。山内川となっているが、黒石寺の蘇民祭の時、夏参りで水垢離をとる瑠璃壷川とも言う。
 黒石寺から少し上がった所に、袈裟掛というバスの停留所があって、例の和尚の恰好をした小僧が立っている。その下の瑠璃壷川の左岸に、根元から、釣針のように曲がって、着物を掛けるのに、いい具合の桜の木があった。
 正法寺を開いた無底和尚は、よくそこで水垢離をとって、体を洗ったりした。脱いだ袈裟は、その桜の曲がり具合のいいところに、掛けたので。「袈裟掛桜」と言った。さて、道案内の小僧の答えは、八つだ。

4. 弘法の甘蕨   |づもな||戻る|
 弘法様も人間だもの、霞を食って生きてたわけでもない。やっぱりお腹が空く。「クウカイ?」と、言われたぐらいだ。
 ある時、布教の途中だ。たが、どうしようもないほど空腹の弘法様が歩いていた。すると、いかにも貧しそうな、山中の一軒家前を通り掛かって、声を掛けた。
「旅の僧だが、五日程何も□に入れておらん。何でもよいから、少し食べ物を恵んで下さい」と。
 その家では、田畑仕事が、忙しく、皆仕事に出ていて、二八(一六歳)の娘が一人で、昼食作りをしていた。娘は、家の中に、余分に食べる物も無いし、坊様だから「お精進物」だろうと思って、「坊様、これから用意をするので、まずは、炉端で休んでいて下さい」と語って、籠を持って、家の裏山の方へ行った。幾らも経たない内に、たくさん蕨を取ってきた。
 さあ、それから湯を沸かし、あく(灰汁)抜きをしたりして、蕨のおひたしを作って、坊様に食べさせた。大変空腹の弘法様にしてみれば、手早く作って、食わしてくれればいいのに、と思っただろうが、その心やさしい娘に、こう語って帰った。
 「娘さん、とても美味しくいただきました。随分手間ひまをかけさせましたが、これからは、あく抜きをしなくとも、すぐ食べられる蕨が、お宅の裏山に生えますよ」
 その甘蕨は、黒石のある山に、毎年生える。

5. 弘法の草餅   |づもな||戻る|
 弘法大師は、手品師でもあったのか? ずいぶんいろんな事をしている。
 春になって、土が暖かくなってくると、土筆や蓬が、一面に出てくる。春の餅といえば、やはり蓬餅だ。香りがいいものだ。
 田植だ、馬鍬洗い(田植後のご苦労会)などと、時節にはよく作ったものだが、婆も、家の前の堰端で、蓬を摘んできて、小豆を煮て、コソコソと蓬餅を作っていた。そうしているところへ、戸口にのっそりと立って、なんとも汚らしい坊様が、「旅の僧ですが、三日ばかり何も□にしていません。この家の前を通ったら、草餅のいい匂いがしましたので、どうか一つでいいから、恵んで下さい」と、三日も食べていない割りに、とてつもなく通る声で言った。蓬餅を丸めていた婆は、こめかみに死に狐(頭痛、歯痛などに貼る黒い膏薬)を貼り付けて、ギロリと振り向いて言った。
 「何様か知らんが、ダメ、ダメ! 若夫婦と孫は、俺を置いて、温泉へ行った。腹が立ったから、独りで、旨いものを作って食べようとしていたのだ。誰にも食べさせない!」
 旅の坊様は、仕方なく帰った。「さーて」と言って、蓬餅にかぶりついた婆が、驚いた。なんと、蓬餅は、石になっていた。なんならお世辞でもいいから、「クウカイ(空海)?」と一言いえばよかったのに。

6. 弘法鮭   |づもな||戻る|
 アテルイや、平泉の藤原氏達も、鮭を捕って食べていた。秋になると、北上川ばかりでなく、小さな沢にも、産卵に鮭がのぼって来た。昔の川は、美しかった。
 ある村で、秋の仕事の合間に、「鮭が来たぞ!!」と声が掛かると、子供達まで裸足で川へ走った。網を持ったり、ヤス(魚を刺す道具)を持ったり、気の利いた奴は、包丁や塩を持って、河原に集まって来た。
 秋の川だから、うんと冷たい。しかし欲と一緒だから、着物や褌がぬれてもかまわない。村の総出で鮭捕りだ。漁が終わると、初水揚げの腹を開いて、河原で腹一杯食べたほかに、分け前は塩鮭にして、お正月のおかずにと、先ず賑やかにやっていた。
 そんなお祭りみたいな、河原に、ボロボロの墨衣をまとって、頭蛇袋を下げた僧が寄ってきて、「一切れでもいいから、恵んで下さい」と、願った。すると、村一番と噂の、意地悪な男が、「なに! 乞食坊主になど食わせる魚など無い! 去れ! 行け!」と、追い払ってやった。
 翌年も、稲が良く稔って、「さあ、今年も鮭が、いくらのぼって来るんだろう」と、村では、大変楽しみにしていた。ところが、この年から、一匹の鮭ものぼって来なくなった。
 去年河原に来たのは、弘法大師様だった。

7. 運慶の佛像   |づもな||戻る|
 平泉の清衡、基衡、秀衡は、大変お金を持っていたから、金色堂や、大きな寺を、たくさん造れた。
 寺をたくさん造れば、そこに入れる仏像が欲しい。なにしろキンでも(漆でも)なんでも、たくさんあったから、カネに糸目をつけず、その頃日本一と言う、運慶という仏師に、幾らも、仏像を注文した。
 どんなわけか、すぐ隣の衣川にも、運慶の作った、観音様があった。骨董屋達が、次から次とやって来て、何百両もの値を付けて、譲ってくれと言ったら、その倍でなければ駄目だと言って、どんどん値をつり上げていった。
 ある時、別の骨董屋が来て、「なんだ、運慶にしては、手落ちをしてる」と語って、値を付けずに帰ってしまった。「そう言われれば、この仏像、鼻の穴が無いな」と、女房が独言を言っているのを聞いた和尚は、その仏像の鼻に、こっそり、自分で穴をあけた。すると、また別の骨董屋が来て、「あれなーんだ、一文の値打ちも無い運慶だな」と、笑って帰った。
 運慶の作った仏像には、鼻の穴が無いんだそうだ。鼻を明かすとは、ここから出たのか? せっかく運慶の作った仏像に、鼻の穴を作って、魂が抜けて行ったのだろうな。

8. 絵馬   |づもな||戻る|
 北上川の東に、大きな榧の木が目印の、千養寺がある。ご本尊は慈覚大師が、嘉祥三年に作ったと伝えるが、黒石寺の薬師如来より、十年も早かったのか?
 ここに奉納されている絵馬は、狩野芳円という、絵師が描いたものだそうだが、この絵馬が奉納されてからというもの、その辺の田畑の作物は、夜明けになって見ると、何かに食い荒らされているから、付近の百姓連は大変困った。寄り合いをして、交替で田畑の夜
番をすることになった。
 するとある夜明けに、一匹の馬が、畑のトウモロコシなど、食い荒らしていた。あの馬の仕業だと、捕えようと、そっと後をつけて行ったら、その馬は、千養寺の中に入っていった。
 お堂の中を覗いてみると、絵馬の馬が、ゲップをしていた。これではいかんというので、芳円を探し当て、千養寺に連れてきた。そして、その絵馬の中に、杭を描いて貰い、馬にも手綱をつけて、結んでおくように、描いて貰った。それからは、田畑も荒れなくなったそうだ。
 雪舟という室町後期の画僧も、たいしたものだった。子供の時叱られて、柱に結び付けられたら、床に落ちた涙を使い、足の指で鼠を描いて、その鼠に縄を噛み切らせて、逃げた。世の中がたいそう進歩して、屏風の中の虎も動く。CGだそうだが一休さんどうする?

9. 猫住職   |づもな||戻る|
 和尚も、生臭だったせいでか、さっぱり修業もしない小僧が、とうとう寺を追い出されてしまった。
 ところが誰にも、何か得意なものがあって、その小僧は、猫の絵を描かせると、生きたような猫を猫く。
寺を追い出されて、「今夜の宿を、どうしようか」と、あてもなく歩いていると、無住のボロ寺をみつけた。
空腹だったが、食べるものも無いし、ゴロリと横になっていたら、疲れて眠ってしまった。
 夜中に、とんでもない音がして、驚いて起きたら、大きな鼠一匹と、虎猫が何匹かで格闘していた。びっりした小僧は、寺の隅で、腰を抜かして見ていたら、大鼠をやっつけた猫達が、小僧の所に寄って来て、「明日、長者の家で、葬式を出す事になるから、いつものようなお経をあげてこい」と言って、虎猫達は、小僧の描いた絵の中に、スーッとおさまった。
 次の日、長者の妻の葬式に行った小僧は、「経心若般、訶婆薩提菩(般若心経…菩提薩婆何と反対に読んだ)…」と、いい加減なお経をあげたら、、長者様は、「聞いたことも無い、ありがたいお経です」と言って、法事のご馳走をたくさん食べさせてくれたほかに、「あんな寺では駄目だ。この際俺が寺を新しく建ててあげるから」ということになって、立派な寺を建てて貰って、小僧は、そこの住職になった。木鼻(かしらヌキの端が柱から貫き出た部分)にも猫が彫ってあった。

10. 鳥の巣   |づもな||戻る|
 ろくでない子供が、三人で遊んでいた。いつも喧嘩ばかりしていたが、啀み合うほど、仲が良かった。
 ある時、寺の庭で遊んでいたら、杉の木の天辺に、鳥の巣をみつけた。さぁこの三人、(いつものように喧嘩を)姶めた。「雀の巣だな」「なんで、雀などであるわけ無い。鳩の巣だ」「何言うんだ、鳩なんかじゃない。鳶の巣のはずだ」となり、「そんなら、和尚様に聞いてみよう」ということで、庫裏に行ったら、「これから法事だから、明朝来い」と言われた。
 夕飯を食べてから、一人の子供が、こっそり和尚の所に行って、「父の残した酒だけれども…あの巣は雀の巣と言って下さい」と帰っていった。次に二人目の子供がやって来て、「和尚さんお精進(料理)ばかりでしょうから、刺身を食べて下さい。あの巣は鳩の巣と言って下さい」と。いくらも経たない内に三人目の子供も庫裏に来て、「和尚さん、明日の朝、あの杉の木の巣は、鳶だと言ってくださいね。これは家で作った豆腐と油揚だけども、味噌汁の具にでも」と言って帰った。
 翌朝、子供達三人が、寺の庭で待っていた。庫裏から出てきた和尚は、杉の木を見上げて、「庭にあるからニワトリと言いたいが、鶏は巣を作らないし、高い所にあるから、タカ(鷹)の巣のようだが、見たところ鳥も見えないから、カラス(空の巣)だ」と言った。

11. 三枚のお札   |づもな||戻る|
 山の寺の小僧が、和尚に用事を頼まれて、帰りに山のお婆から、「今晩餅を食べに来い」と言われた。「来い来いという所に、やたらに行くものじゃない」と和尚に論されたが、小僧は、どうしても餅が食べたかったから、行くことにした。和尚も仕方がないなと、「そのかわり、危なくなったら、これを使って、願い事を唱えろ」と、札を三枚持たせてやった。
 小僧はお腹いっぱいご馳走になって、泊まっていくことになった。炉端でトロトロッとしていたら、なにか気配がして、目を開けたら、顔の前に鬼婆がいた。
 小僧は、どうして逃げようかと考えて、「腹がもりもりするから、便所にいきたい」と言ったら、腰に縄を結びつけられて、便所にいかせられた。小僧はそっと縄をほどいて、和尚から貰った札を一枚(縄に)結びつけて、(便所の)窓から逃げた。「まだ用を足してるのか?」と鬼婆が言うと、「もう少し」と、小僧の声で、札が返事をしていた。
 やっと気付いた鬼婆は、小僧を追いかけてきた。追いつかれそうになるたび小僧は、「大きな川が出ろ」「大きな山が出ろ」と、札を使い果して、寺へ逃げ帰ってきた。
 「和尚! 小僧が戻っただろう?と、鬼婆も追いついて来た。和尚は鬼婆と問答をして、次々と化けさせて、最後に「豆粒には化けれないだろう?」と言ったら、鬼婆は得意になって、豆に化けたら、和尚にガリリと食われてしまった。

12. 食わん食った   |づもな||戻る|
 ある寺に、利口な小僧がいた。ところが、和尚は、お経の声を良くしようと、小僧に内緒で、毎日水飴を砥めていた。ある時、和尚が、用足しに出るので、「小僧、この瓶の中のもの、子供が砥めると、命がなくなるから、絶対に砥めるなよ」と言って、出かけた。
 小僧は、そんなことは承知のうえで、留守をしているうちに、みんな砥めてしまった。これは失敗したなと思ったが、利口な小僧のことだから、瓶のふちに付いていた水飴を、ご本尊の□に塗り付けておいた。
 そこに和尚が帰ってきて、瓶を覗いたら、水飴がきれいに無くなっていた。「小僧! 瓶の中のを砥めたのは、お前だろう」と言ったら、「私は知りません。さっき本堂の方から、和尚さんの部屋に、ミシミシと歩く音がしたから、ことによるとご本尊様ではないでしょうか?」と言った。
 和尚はご本尊に向かって、「ご本尊様、飴を誰が舐めましたか」と言った。すかさず小僧が、「あれ!ご本尊様の□に飴がくっついてる!」と、叫んだら、怒った和尚は、ご本尊を叩きつけた。すると、「クワーン(食わん)」と返事をした。
 「食わん? その□のあたりの飴は何だ!」と、和尚は今度、台所の大釜にお湯を沸かして、ご本尊を釜茹でにしたら、ご本尊様は、「クッタ、クッタ(食った食った)」と言った。

13. 寒袋   |づもな||戻る|
  「暑いですね」が、挨拶がわり(の季節)になれば、人だけでなく、大も猫もぐったりして、ハカハカと(呼吸を)している。
 その頃になると、和尚は、小僧達に知られないように、こっそり、押入の中から、大きな袋を出して、「あー、いい、極楽極楽、なんといい」と、涼しい顔をしていた。
 こんなに暑い日が続くのに、うちの和尚だけ、どうして涼しい顔をしているのかと、汗だくで法事から帰ってきた和尚の着替えをするところ、小僧達はそっと襖の隙聞から覗いて見ていた。すると、裸になった和尚は、押入から例の袋を出して極楽極楽とやっていた。
 何日かして、和尚が出かけた隙を見て、小僧達は、押入の袋を出して、紐をほどいてみたら、なんと、涼しい風が出てきた。俺にも俺にも、もう少し、もう少しとやってるうちに、袋が空っぽになって、大変な事になってしまった。和尚が帰ってきたら、怒られるぞと、青くなってしまった。
 すると古参の小僧が、「皆で、この袋に、おならをしろ!」と言って、次々と小僧達がおならをして、袋いっぱいにして□を閉じておいた。まもなく、汗をかいて帰ってきた和尚は、袋の□を開けて、ひっくり返ってしまった。
 「冬にとってた寒風、誰が開けた!」と怒ったら、古参の小僧が、「だって、この暑さだもの、腐って臭くなったんじゃないですか」と言った。

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