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「朝鮮の土となった日本人 今、なぜ、浅川巧なのか」山梨県北杜市立浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館館長、澤谷滋子さん講演要旨

◎澤谷滋子さん講演要旨

 2017年11月26日に東京都千代田区二番町の東京グリーンパレスで行われた水沢高等学校関東地区同窓会で24回生、昭和47年卒の山梨県北杜市立浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館館長、澤谷滋子さんに「朝鮮の土となった日本人 今、なぜ、浅川巧なのか」と題して特別講演をしていただきました。

 

 北杜市のホームページによると、資料館の概要は以下の通りです。

 北杜市高根町出身の浅川兄弟は、日本統治下(1910-1945)の朝鮮半島で生活しましたが、朝鮮の人の立場で朝鮮を捉えようとした数少ない日本人でした。

 この資料館は、朝鮮工芸の美に魅せられた浅川兄弟の人と業績を紹介し、日韓友好親善の情報発信地でありたいと願って2001(平成13)年に開館されました。

 資料館には兄弟の足跡がわかる年譜やビデオ解説、ジオラマ、朝鮮青磁・白磁のほか、朝鮮陶磁研究家であり芸術家であった伯教が残した書や絵画の数々、巧が朝鮮の人々へのさまざまな想いを綴った日記など、貴重な資料が展示されています。

 

参考:ホームページURL https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/docs/1635.html

 

 澤谷さんは講演で、大学進学のため東京に出て結婚し、雑誌・書籍編集の仕事を続け、30歳を過ぎて子供が生まれたとき、「山を見ながら暮らしたい」と、八ケ岳山麓にある現在の山梨県北杜市に家族で移住した経緯を語りました。その後「新住民」として地域になじもうと地元の活動に積極的に関わるうち、地元教育委員会の依頼で郷土資料館を立ち上げ、現在の資料館の学芸員となったそうです。

 

◎浅川巧の映画「道、白磁の人」製作・宣伝などに水沢高校同窓生が支援

 

 資料館の啓発活動が実を結び、浅川巧の生き方に感銘を受ける人が年々増えてゆき、日本と韓国と合作で映画をつくろうという大きなプロジェクトが立ち上がり映画に1億円提供する、という人が現れました。そして5年前、7年の年月と、3億円という予算をかけて、浅川巧の映画「道、白磁の人」ができあがりました。監督は紆余曲折の末、袴田事件を扱った社会派の映画作品などで知られ、女優、高橋恵子さんの夫でもある高橋伴明さんが引き受けてくれたそうです。

 

 澤谷さんは、この映画製作に携わる中で「思いがけないことに、水沢高校の先輩、後輩、同期の皆さんに、たいへんお世話になったのです。本当に今思い返しても、胸が熱くなるような、チカラをいただきました」と述べ、この映画を作っているという話が同級生から伝わると、新聞部の後輩たちが、自分が関わっているメディアを通じて映画宣伝のPR文を、どんどん書いてくれたことや、自分が編集長を務める業界新聞にも書いてくれたこと、同級生が、NHKの「ラジオ深夜便」にも出させてくれ、宣伝させてくれたこと、チケット販売が始まると束で売りさばいてくれたこと、山梨の資料館まで岩手から突然来て、なんと5万円分もの映画普及グッズを即金で、買ってくれた同級生もいたことなど、さまざまな熱いエピソードを紹介しました。

 

 澤谷さんが今回の講演依頼を断れなかったのは「こうした水高同窓生の動き、熱さ、それを皆さんに報告しなくては、という思い」「まさか卒業40年後に、会ってもいなかったのに、こんなに水沢高校に助けてもらうとは思ってもいませんでした。それも、山梨県という、離れた土地で」との感謝を伝えたかったからと語りました。

 

 澤谷さんは、浅川巧が脚光を浴びるきっかけになったのが、1970年代、戦後の思想界を代表する哲学者であり、後藤新平の孫でもある鶴見俊輔さんが、雑誌「思想の科学」で巧の功績に言及したことだったと述べ、水沢との遠からぬ縁についても披露。巧の現在の役割は巧を仲立ちにして、100年前からの日本と韓国の歴史を知り、今後を考えるための手段であり、鶴見俊輔さんは、韓国人の心に残っていた浅川巧を記録し、残し、一人の生き方を手段として、政治や時代に制約された世の中で、どういうふうに付き合っていくかを考える、共通項の1つをつくりたかったのだと思う、と締めくくりました。

                                                                                                                              (文責・32回生 及川仁)