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No.16 啄木はワーキングプアか 事務局 2007/12/09(Sun) 09:01 暫定版サイト2007年3月21日の掲示板「銀座の啄木」に、啄木の貧窮死説に疑問を呈しましたが、それに関連して、8日付の朝日新聞の特集「歌う記者ー石川啄木」に面白い記事が載っていました。
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啄木が在籍した当時の朝日新聞の給料について、実証分析がなされていました。それによると啄木の月給は手当てを含めて30円とのことです。これが高いか安いかは、貨幣価値が異なるため、他者との比較になります。 社長(オーナー)は300円、編集長が130円、特別待遇の夏目漱石が200円、大卒の朝日記者の初任給が30円だそうです。 米の値段などから、現在価値に引き直すと、30円は約30万円に該当するようです。 現在の感覚では、贅沢はいえないが、なんとか生活が出来るという金額でしょうか。当時は今よりも給料の学歴格差が大きかった時代、朝日の大卒記者と同じ待遇であることは、中学中退の啄木は特別待遇といえます。本来、学卒、ホワイトカラーでない、ブルーカラー、嘱託≒ハケンは日給、週給が戦前までの常識でした。 故に結論は、「啄木はワーキングプアではない」といことになります。働けど働けど・・・の歌はフィクションではないにしても、当時の激安スーパー、しまむら、ハナマサを利用していたら回避できていたわけで、やはり啄木の性格に起因することが、貧窮の原因であることが数値的に証明されたわけです。 明晩、NHKで、今年二度にわたって放送されて、ワーキングプアの現実がさらけ出された「ワーキングプアT・U」が再編集のうえ放映されます。現役の生徒諸君も、勉強の合間にご覧になられたら何か感じるところがあるかもしれません。 写真は、都内のあちこちに存在しているノボリです。文章とは関係ありません。 No.15 在仙同窓会サイト 事務局 2007/12/08(Sat) 00:38 管理人より在仙同窓会のサイトがアップされました。それによると来月、仙台で在仙同窓会が開催されるようです。
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念のため、次第を下に書き写しておきます。 ・日時:2008年1月18日(金)18:00〜20:30 ・会場:ハーネル仙台 仙台市青葉区本町2-12-7 電話;022-222-1121 ・会費:男性6000円、女性4000円、学生2000円 仙台は地元の次くらいに同窓生が多数居住しているのではないでしょうか。また東北大学や東北学院大学がり、現役OBも多数勉学しています。特に現役の皆さんは足をお運びになられたらいかがでしょうか。 また在仙同窓会の幹事の皆さん、このサイトは本校とリンクしていますので、関係者が目にする機会は多いと思います。よろしかったら、ご案内を出してください。 写真は文章とは関係ありません。秋葉原=アキバの今の風景です。決しておたくのメッカだけではありません。 No.14 校歌・応援歌2 事務局 2007/12/02(Sun) 10:48 写真は文章と関係ありません。師走の銀座四丁目付近の夕暮れ時の景色です。
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校歌・応援歌の脚注をご覧になりましたでしょうか。あれ?と思われませんでしたか。水高音頭の元歌である「浦和高校自治寮・音頭:春の武蔵野」の作曲者が金田一春彦となっています。あの金田一春彦先生なんですね。 そこで興味をもって調べたところ、昭和7年作曲で事実であるようです。そしてその背景が面白いんです。ご承知のように金田一京助先生は春彦先生が子供の時点でもすでに大学者でした。春彦先生は大学者の息子ということで特別の目で見られるので窮屈でたまらない。それに実際、京助先生はダ・ビンチみたいなひとで、何をやっても優秀で、まともではとてもかなわない。そんなところで、学校も旧制一高ではなく、浦和高校に逃げた。 寮で悶々としながら、なんとか親父に勝るところがないかと考えたら、親父は唯一音楽が弱点であることがわかり、音楽の道へ進むことにした。そして、ここがお坊ちゃまなところですが、父親に頼んで、七つの子などを作曲した高名な作曲家、本居長世(余談ですが、あの大学者の6代目の子孫だそうです)を紹介してもらい師事することになったのですが・・・あまりの音楽センスの違いに音楽の道は断念し、素直に父親に頭を下げ、国語学者の道に進んだという試行錯誤時代の話です。 その葛藤の時期、作曲したのが「春の武蔵野」ということで、寮歌にしては珍しく、有名人が作曲者としてクレジットされているわけですね。 話は、本線からはずれますが、春彦先生の子息も、父親と同じことで、学者への道はあちこち回り道したようです。 No.13 校歌・応援歌 事務局 2007/12/01(Sat) 08:12 とうとう師走に突入しました。写真は文章と何も関係ありませんが、昨日の大阪の堂島川暮色です。
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さて、HPを注意してご覧の方はお気づきかと思いますが、校歌・応援歌の欄が更新されています。第三、第四の応援歌、優勝歌、水高音頭、水高讃歌、逍遥歌が加わってフル装備になりました。 その際、T運営委員からのご指摘があり、参考として脚注がついています。 逍遥歌が旧制松本高校の思誠寮寮歌「逝く春」が原典であることは昔から説明されていますが、いやあ出てくるは出てくるは。ひょっとして今の生徒手帳には明示されているにかもしれませんが。 水高OGの方のメロディー付サイトに、第一応援歌がやはり旧制松本高校が出典と記されていましたが、まさにその通り、旧制松本高校の「ああ青春」でした。(T委員より確認資料提示)でした。さらに水高音頭は旧制浦和高校の寮歌であることも判明しました。曲は勿論、詞も「武蔵野」が「胆沢」にかえたように、浦高寮歌へのオマージュになっております。 第二もどこか原典があるかもしれません。著作権等の問題はないとは思いますが、オリジナルに敬意を表するという意味で、同窓会限として脚注が加えられました。 オリジナルがあるからといって現在の応援歌等の価値はないかといえばそうではなく、やはり我々の人生の通奏低音になっているわけで卑下することはありません。旧制高校の大先輩たちも作詞には自信があったようで、寮祭やインターハイ、コンパのどの旅に無数の寮歌を作ってきたのですが、どうも詞に比較して曲の在庫は極端な話、二桁は違っていたようです。「逝く春」にしても同じメロディーに何度も詞が上書きされ、決定版として残ったのが現在CDで聞くことが出来る詞ですから。 盛岡一高の校歌のメロディーが「軍艦マーチ」であることは有名な話です。 それにしてもオリジナル曲である水高の校歌は素晴らしい。音楽部の諸君による斉唱と混声合唱を拝聴しましたが、これは新たな発見でした。校歌は時代により女学校のように美しく斉唱されたり、応援歌練習とかぶり絶叫調になったり、オリジナルに比べて2倍近くも長くなったりしましたが、やはり作者の譜面どおり歌うことが基本ですね。 No.12 必見、同窓会講演会レジュメ 事務局 2007/11/24(Sat) 19:16 本日、当サイトに過日行われた関東地区同窓会におけるOB山口光氏の特別講演のレジュメ(スライド)がアップされました。詳しくは、左の「特別講演」をクリックしていただきますと、見ることが出来ます。
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紹介文にありますが、山口氏は母校同窓会のためだけに、大変な準備をしてくださいました。この約半世紀の世界情勢を報道の最前線の当事者としての立場から俯瞰し、今後についても展望されています。 一方、昭和30年代の水高や、郷土の偉人、後藤新平の世界観も紹介され飽きることがありません。OBの方は勿論、現役の生徒諸君にも是非読んでいただきたいので、しつこいようですが、日記で紹介させていただきました。 No.11 三連休初日 事務局 2007/11/23(Fri) 17:05 本日は勤労感謝の日、東京は♪空紺青に澄み渡り♪といった快晴で、気温は12月並みですが、かなり寒い。ただ10月から11月にかけて暖かい日が多かったため。神宮外苑の銀杏並木もまだ黄色には染まっていません。
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写真に写っている並木の先にある建物は絵画館(神宮聖徳記念館)ですが、中に入られた方は少ないのではないかと思います。明治天皇の事跡を顕彰して建てられていますので、江戸から明治にかけての出来事の絵画が飾られています。教科書に載っていた「大政奉還の図」や「江戸薩摩藩邸での西郷勝会談」、切手になった「咸臨丸太平洋渡海の図」などおなじみの絵画の現物がありますので、銀杏並木散歩のついでに訪れてみられたらいかがでしょうか。 また、水沢人として注目に値するのは、金華山号の剥製が展示されていることです。金華山号とは明治天皇の御料馬で、数々の神馬の伝説が残されています。宇治川の先陣争いの「池月」と「磨墨」、ロサンゼルス五輪のバロン西の愛馬「ウラヌス」と並ぶ歴史的名馬です。鳴子で生まれ、水沢の大林寺で飼育されていたところ、行幸した明治天皇に見初められ、御料馬として数々の行幸にしたがいました。 余談ですが、誰でも知ってる馬なのに無名の馬がいますね。ついでに調べてみました。山内一豊の妻を有名にした京都馬揃えの馬は「鏡栗毛」、川中島の戦いで、上杉謙信が騎乗して単騎、武田信玄の陣中に突入した馬は「放生月毛」でした。 No.10 つながりました。 事務局 2007/11/21(Wed) 21:42 本日、水高のHPとリンクされました。あらためてよろしくお願いします。
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このサイトは正式な同窓会のホームページです。OBの皆さんの情報の結節点の役割を果たせたら光栄です。 「掲示板」はどなたも投稿できます。同期同窓会、部活同窓会連絡、地域同窓会の連絡版など是非ご利用お願いします。 No.9 投稿歓迎 事務局 2007/11/20(Tue) 21:49 地元の新聞のHPをチェックしていましたら、OBの著作が紹介されていました。高野長英に関しての著作なのですが、自費出版ということで、人目に触れる可能性は、大手出版社の著作に比べて少ないのは事実です。
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水高関係者に口コミで伝わることを期待して、掲示板に記事の抜粋をアップしました。 No.8 もしも 事務局 2007/11/18(Sun) 18:16 「If」もしもとあれこれ想像することは楽しいものです。自分が水高でなく、息子みたいに東京の高校に入っていたら・・・なんてね。
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掲示板への写真の転載の許可を求めるため、ある年次の同期会サイトにお邪魔しましたら、面白い投稿がありました。 後藤新平の生誕150周年を記念して岩手放送が特別番組を制作(来年1月放送)するにあたって、過日、ナビゲーター役の俳優村上弘明さんが、記者会見のため、水沢を訪問したそうです。 水高のOBの方が村上氏と縁があるため、夜会食したという話です。村上氏は外見と中身が一致する、気さくな紳士で、楽しい時間を過ごしたそうなのですが、その時、氏が水高への進学も検討していたとの発言があったそうです。氏は陸前高田出身ですのでこれはおおいにありうることですが、事務局などはそうなると同じ頃在籍したことになり、これはこれで面白いと思った次第です。 氏は気仙沼高校から東北大学医学部を目指し浪人中に、映画、演劇に出会い、進路変更をして、そのあとはご存知のとおりですが、もし水高に入っていたら・・・水高は基本的には受験に真摯に取り組むので、現役なり一浪で国立の医学部に入学して医師になっていた可能性がかなり高いのではないでしょうか。 そうしたら、彼のごく一部の周りで、「財前五郎が田宮二郎より似合うお医者さんがいる」なんて噂されていたかもしれません。 結果は水高に来なくて良かった・・??? No.7 オシム倒れる 事務局 2007/11/17(Sat) 00:36 世の中、サブプライム問題で混乱しているのですが、本日の大地震は、オシム監督の脳梗塞発症でした。一日も早い回復を祈りたいのですが、代表監督を継続することはまず無理でしょう。
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オシム監督の含蓄に富んだコメントは、水高OBの千田善氏の通訳力がかなり貢献していたように思われますが、さてどうなるのでしょうか。 |前の10件| |後の10件| |