水沢江刺駅前の南部鉄瓶のオブジェです。
色々な看板は「奥州市」になりましたが、この看板は2007/04/18現在このままです。

2007/04/18(水) 20:34
 2007年春、水高正面風景です。

2007/03/29(木) 17:25

 2007年春、水沢高校体育館前です。SSH指定を強調しています。

2007/03/29(木) 17:23
 2007.03.28:北上川を桜木橋の土手から臨みました。

2007/03/29(木) 17:21

 水高同窓会報第35号が先頃発刊されました。
転居等で届かなくなっている同窓の方は、水高HPにある電話番号かメールアドレスにご連絡してください。

2007/03/17(土) 10:49

 水沢に帰省中のT氏より、今朝の水沢の映像が送信されてきました。
うっすらと雪が積もっているのがおわかりでしょうか。

2006/12/10(日) 08:12

 友人M氏が送ってくれたお台場からレインボーボリッジを臨んだ夜景です。
下には屋形船が出ています。手近にこの夜景があるのも首都圏住まいの醍醐味でしょうか。
2006/10/14(土) 14:41
奥州平野(060815)

コメント 奥州平野(胆沢平野)8月15日の写真です。こころなしか秋の気配を感じますね。
水沢に帰省したT氏よりの送信写真です。
月並みですが、帰るふるさとがある人間は幸福です。
T氏も本日帰京、また大都会との折り合いを探る生活が始まります。

2006/08/15(火) 21:36

ふるさとのお菓子「がんづき」(060814)

コメント 盆帰り中のS氏から送られてきた、ふるさとのお菓子です。「がんづき」ときいて子供の頃を思い出される方も多いかと存じます。
小麦粉、重曹、くるみ、黒ゴマ、味噌などでつくった蒸しパンですね。お盆の食べものというわけではありませんが、懐かしい味です。
現在、スーパー、お菓子屋などで販売しており、水沢では今でもメジャーなおやつです。
でも一番いいのはお母さんの手作り品。これもご母堂の作品だそうで、都会育ちの孫たちのも大好評だったそうです。

2006/08/14(月) 19:45
お盆の陸中折居駅(060812)

コメント 盆帰り中の「団長」T氏から、陸中折居駅の映像が送信されてきました。氏の実家は折居駅のそばといことで、東京駅のやまびこの行き先は一関です。
一関駅は新幹線と在来線が同居しているため、乗り換えは容易です。
タクシーなどいう無粋なものは使わず、平泉・・前沢・・陸中折居と、ローカル線の小旅行をしゃれてみたわけですな。
それにしても名実ともに無人駅ですな。

2006/08/12(土) 14:04

水沢昔町:三本木(060811)

コメント お盆帰省しているS氏より、写真が送信されてきました。水沢市内に育った人でないとわかりにくいかもしれませんが、旧御園座の先から三本木の通りを臨んだ構図です。
写真のびっくり食堂は、水沢人には有名な店です。東町にあるエイヨー食堂は、ハレの日、びっくり食堂は気軽な店ですね。
店主の方は、「釣りキチ三平」の作家、矢口高雄氏と交誼があるようで、店内には、矢口氏の肉筆作品が展示されています。

 東映系の映画が上映されていた御園座もかなり前に閉鎖されました。その先には、時間制の有料の卓球会館がありました。
水沢っ子は、放課後ここで勝負したものですが今はありません。それでも東京五輪前後の風情が残っている昔町ですね。

2006/08/12(土) 08:24
風の又三郎(030804)

コメント 種山高原に行きました。ここは星にもっとも近いイーハトーブとして賢治の作品にはよく登場します。彫刻のモチーフは風の又三郎です。
賢治は水沢緯度観測所で宇宙や悠久に関してインスパイアされていたようです。種山高原にはキャンプサイト、コテージがありますが、きっと星がきれいに見えるんでしょうね。

2006/08/10(木) 22:59

胆沢川温泉:さくらの湯2(060804)

コメント 竹下内閣のふるさと創生事業の数少ない有意義な遺産が、各地に出来た日帰り温泉です。
奥州市地方もこの15.6年で随分施設ができました。
銭湯の料金で日がな一日のんびり過ごせるのは、ふるさと暮らしのメリットのひとつでしょう。
この胆沢川温泉は、竹下内閣の「遺産ではありませんが、数ある施設では、管理人、イチオシの日帰り温泉です。
在来線水沢駅から車で15分程度ですので、電車での盆帰りのひともTAXI代はそれほど負担になりません。
温泉には大広間があり、休憩無料で、町の食堂料金で食事ができます。
そしてなによりも結構なのが、泉質です。塩化ナトリウム泉、つまり食塩泉です。お湯はさらさらしているのですが、肌をこするとぬるぬる、すべすべ、俗にいう美人湯です。
また、食塩泉は、筋肉が解放され、湯上りは気持ちよく疲労感を感じます。大広間で、横になり、自然の涼風をうけてうとうとするのが格別です。

2006/08/09(水) 21:56
水沢駅通り2(060802)

コメント 近日中アップ

2006/08/08(火) 23:57

水沢駅前、駅通り1(060801)

コメント 水沢の駅通りは、地方都市特有の過疎化が進展、車通りや人の歩く姿がめっきり少なくなりました。
一時はシャッター街化されましたが、建物の取り壊しなどで、広場ができ、歯抜けた状態ですが、とにかくシャッター閉めっぱなしという建物はほとんどなくなりました。

江刺の岩谷堂は、水高OBのA氏がプロデューサーになって「蔵の町」のコンセプトで根本的に改造されましたが、水沢はそういう動きはありません。
部外者として、行政、商工会のノーアイディアには失望しましたが、最近はそうでもないなと思うようになりました。

行政、商工会がイマイチであるのはそのままですが、昭和50年代のデコレーティブながら醜悪な、施設が取り払われたことにより、水沢の町そのものが持つ、地方商業町の好ましい遺産が目につくようになったからです。
横町、大町の商店はかなり淘汰されましたが、昔の建物を丁寧に扱って維持されている建物が目立つようになりました。
看板などにも工夫が凝らされたものがあります。また最近の建造物は、周囲の景観に違和感を与えないような佇まいにつくられています。

岐阜県の明智町は、町全体を「大正村」のコンセプトで統一されています。大分県の豊後高田は、昭和町です。武家屋敷があり、明治から昭和にかけて栄えた商店街がある水沢は、まさに商業と生活と文化の集積する町です。
日頃の生活必需品は、郊外のショッピングセンターでまとめ買いをして、十分ある時間は、水沢の町になにかを探しに来る、あるいは無目的でも来たくなる町になる可能\性はまだありますね。

そのためには、小さなシネマコンプレックスのひとつも必要ですね。
東京五輪の頃は、中央通りに「東宝」、大安寺裏に「SYロマンス」東町には「松竹」、春日町には「御園座」と専門映画館が4つあり、川原小路の「水沢劇場」も以前は一般映画を上映していました。
パチンコ屋はしぶとく生き残っていますが、横町にも小さなホールがありましたね。悪所というところも○○にあったようです。健全一点張りでは、人も集まりませんね。

2006/08/08(火) 23:55
胆沢ダム(060803)

コメント 近日アップ予定

2006/08/07(月) 20:02

ああ青葉町(060806)

コメント この写真どこかおわかりでしょうか。撮影は2006年8月2日です。
わざとセピアカラーにしました。水沢の駅どおりが賑わっていた昭和30〜40年代、青葉町もおおいに栄えました。D寺が地主という噂もありますが、水沢競馬の流れ、県二番目の官庁街としてのお役人の連中、商店街の旦那連中等で、青葉町は岩手では有数の歓楽街でした。

 時は移り、競馬は赤字で足手まといになり、商店街のシャッター街化が進んで、飲み客が少なくなっても、表通りみたいに歯抜けにはなっていないのが不思議です。やくざ暴力団が生存できなくなった青葉町、恐くなくなりましたので盆帰りには出向かれたらいかがでしょうか。

2006/08/06(日) 21:42
水沢高校夏3(060806)

コメント 近日中アップ

2006/08/06(日) 18:40

水沢高校夏2(060806)

コメント 道路側から水高グランドを臨ううだ構図です。土手の鉄骨の骨組みは、運動会の飾りつけのバックですね。
毎年運動会は、種々の趣向がこらされます。みなさんそれぞれに思い出があるでしょう。

運動会の日程は高体連の大会と近接しているため、体育会系は大変忙しいことになります。
特に棒倒しにかける情熱は尋常なのもでなく、自分の部活の練習に支障をきたしても、のめり込む者がいます。
水高の応援歌練習、応援団は硬派そのものですが、運動会は別、紅白のリーダーの核をなす、応援団リーダーは、男子、特に女子リーダーを選抜し運動会の当日まで準備にいそしみます。

学校は共学でも、部活は別、普通の生徒は、意外と男女の接点がありません。
運動会は、第一種接近遭遇の懐かしくも甘酸っぱい思い出です。そして紅白の応援歌は、大学の有名作品の替え歌が多い。
早稲田、慶応はもとより、日大、なんと東大の「ただひとつ」まであります。案外、歌っているうちに気に入って、当該大学を受験した者がいたかもしれません。

2006/08/06(日) 18:39
水沢高校2006年夏1(060806)

コメント 水高の正門からの俯瞰写真です。この校舎に記憶があるのは40代までのOBではないかと思います。

それでも現在50代の方には懐かしい「新体育館?」は、古みをおびて健在ですし、左側の松林も現存しています。

大鐘街道の水高下にある浅利商店は、部活のあとの水高生がコカ・コーラのホームサイズを飲む風景が名物でした。
それも今は区画整理されてコンビニになっています。また正門から左斜め前には「しじみ商店」がありました。
本当の名前は違うのですが、生徒は、「しじみ商店」といっていました。この店も現在は閉じられています。

現在の校舎は古いOBにはなじみはありませんが、白亜の校舎と、花壇、芝生が整備された中庭は、古い木造校舎とは対極的ですが、ある種名門の風格を感じます。
東京女子大や国際キリスト教大学のようなこじんまりとした大学のキャンパスを彷彿としますね。

2006/08/06(日) 18:37