本物のモアイ像
管理人 2007/09/06(木) 21:17

 本日同窓会の運営委員会の帰途、丸ビルに立ち寄りました。

 一階のフロアに「本物のモアイ像」が鎮座していました。日本とチリの修好110周年をに記念して、イースター島のモアイ像がはるばる太平洋をななめ横断して東京にやって着ました。

 高さ3メートル、重量6tということでなかなかのものです。17日まで展示されていますので是非お立ち寄りください。

 ただ見るとおり、妙に白く新しく見えるのは光線の加減ではありません。しかしこれは本物なんです。つまりイースター島のモアイ像は増殖しているということなんですな。初めて知りました。ヒロヤマガタかラッセンか!


もうひとりの裸の大将
管理人 2007/09/04(火) 21:48

 日本全国国鉄顔パスの裸の大将がもう一人いた!!!

 昭和40年代生まれくらいのOBの方は覚えているでしょうが、「及川裸観(ラカン)」という面白い人がいました。ラカンさんは1901年前沢生まれで、幼少時から虚弱体質で、何度も生死の境をさまよったそうですが、青年期意を決して北海道網走に移住、そこで春夏秋冬、裸で過ごしたら、全然病気にならなくなったそうです。

 そこで、ノボリを立てて、半ズボンの姿で全国で健康法を説いてまわり、一躍全国区の有名人になり、1988年大往生しました。

 管理人の小学時代にも、水沢小学校を訪れましたので現物を見ています。とにかく、笑って過ごせば、人間みな健康で幸福になると単純明快に言い切り、それが妙に説得力がありました。

 吉永小百合とCMで共演しているのですから大したものです。ラカンさん、奥州地方は生まれ故郷ですから、各小中高校をまわっているはずで、みなさん思い出があるんではないでしょうか。

実際くよくよしないで腹の底から笑って過ごせば、疾患の8割方は退治されてしまうんではないでしょうか。


札幌に石川啄木像があった
管理人 2007/09/01(土) 07:10

 出張で昨日札幌に出向きました。商用の時間調整で大通公園を訪ねましたところ、石川啄木の歌碑と像がありました。

 なにしろ啄木の歌碑の数はダントツで、九州にもあるとのことですが、全身像は珍しい。

  しんとして 幅廣き街の

  秋の夜の

  玉蜀黍の焼くるにほひよ

 啄木は北海道に大変縁が深く、函館、小樽、釧路と流浪して、結果的には秀歌の数々が生まれたわけですが、調べたところ函館から小樽に引っ越す間、半月札幌に滞在し、数日地元の新聞社に勤めたそうです。誘いがあってすぐ小樽に向かったのですが、もし札幌に腰を落ち着けていたらどうなったでしょうか。小樽以降の有名な歌が存在しなくて、どんな歌が生まれたでしょうか。

 この歌はあまり出来はよくありませんが、当時の札幌の雰囲気はよく伝わっていると思います。

 画面にははいっていませんが、当日は右隣でとうもろこしの屋台が出て、300円で売っていました。


日本一暑い町
管理人 2007/08/23(木) 22:54

 このところの常軌を逸する猛暑は、暑さの日本記録を74年ぶりに更新することになりました。岐阜の多治見と埼玉の熊谷が記録した40.9℃です。本当は東京都心が日本一のような気がしますが。

 そのツートップのひとつ、熊谷に本日所用で出かけました。「暑さ日本一の町!」なんてのぼりがないかと探しましたが、それはなく、駅前で見つけたのはこのオブジェ。そうなんですね。熊谷は日本有数のラグビーどころなんですね。

 優勝回数のトップを秋田工業と争う、熊谷工業、トンガの留学生で急成長の埼工大深谷、そしてなによりも、先年亡くなった宿沢さんの母校熊谷高校があるんです。新日鐵釜石の後身の釜石シーウェイブスは、トップリーグの下のイーストに属していますが、年に二回、首都圏で公式戦を行います。それが秩父宮と熊谷運動公園なんですね。釜石は今でも熊谷、秩父宮ではホームなんです。

 盛岡工業が全国制覇をしていた昭和40年代、ライバルの黒沢尻工業も全国区、社会人は勿論新日鐵釜石、岩手はラグビー王国だったんです。そのとき水高は県でランク3位だったこともあります。水高がラグビ不毛(当時)の山形にあったら、花園に出て、どこまでいったのだろうと楽しい想像をしたものでした。

 熊谷は今日は涼しかったです。


「種山ヶ原の夜」
管理人 2007/08/19(日) 06:30

 男鹿和雄という人をご存知でしょうか。

 ほとんどの方が知らなくてほとんどの方が作品に接したことのある作家です。

 「となりのトトロ」の里山の背景を書いたといえば思い出されるでしょう。あのなんともいえぬ懐かしさは日本人のこころ原点ですね。それ以外にも、ジブリの「魔女の宅急便」「紅の豚」といううたヨーロッパ、「耳をすませば」の聖跡桜が丘、「おもひでぽろぽろ」の山形など、思い出されます。

 現在、木場にある東京現代美術館で9月末まで「男鹿和雄展」が開催されており、昨日出かけてきました。そこで上映されていたのが表題の「種山ヶ原の夜」です。男鹿氏の第一回監督作品で、宮沢賢治の原作です。そこでジブリ作品と宮沢賢治の親和性に納得したわけですが。

 ご興味がある方は是非出向いてみてください。ただし、猛烈な混雑で、1時間の行列は覚悟しないといけませんので、賢治の文庫など携行するとよいかもしれません。