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水高
長者と怠け者
  
  1. 掃部長者
  2. どっち長者
  3. 柿長者
  4. 黄金の馬
  5. 尻あぶり
  6. 金の雨
  7. 大根汁
  8. 二百十日


1. 掃部長者   |づもな||戻る|
 掃部長者の話は佐倉河、姉体、胆沢から江刺(いずれも胆江地域の地名)まであって、長い話で、どれもこれも、少しずつ違っているので、(この話も)ごちゃまぜにしてます。
 長者は、初め種山(江刺の山)あたりに居て、金を掘り当てて、金持ちになった。その後佐倉河に移って、いろは四十八の蔵を建てて、慈悲深い長者になった。
 ところが、長者の女房ときたら、とんでもないケチだった。長者が、使用人に食べさせようと、気仙の魚屋から、三百六十五人分の塩鱒を買った。すると、長者の女房は、うまいうまいと、一人で、ぺろりとたいらげた。
 そのせいで喉の渇いた女房は、家の池の水を飲んでも足りなくて、止々井沼の水に入って、大蛇になってしまい、長者の屋敷に火をつけたばかりでなく、亭主の長者まで食べてしまった。
 人を食べ始めたら、毎年、美味しい若い娘を食べたいと、周囲を荒らし回った。だんだん、人身御供の若い娘が居なくなって、郡司の娘の番になったら、娘が惜しいからと、遠くから小夜姫という娘を買ってきて、大蛇に供えることにした。
 その日がくると、小夜姫は、泣き坂登って、化粧して、覚悟して、観音経を唱えていると、大蛇は本性に帰って、一本の角は玉里(江刺)へ飛んで行く、もう一本は南都田(角塚古墳)で拾われた。それからというもの胆沢は穏やかになるし、小夜姫もたくさん宝物を貰って、家へ帰って、母親を大切にした。

2. どっち長者   |づもな||戻る|
 掃部長者の話は、胆沢の有名な話だから、沢山ある。昔の南部と伊達の一部が一つになって、今の岩手県になったから、あまり南部の悪口も言えないが―。
 雪が溶けて、花が咲き始まると、畔塗りだ、苗代ならしだ、田打ちだと、百姓は忙しくなる。掃部長者の噂を聞きつけた南部の長者が、忙しくならないうちに、様子を見に来た。
 「まずは、遠くから良くおいで下さいました」と、掃部長者は、四十八蔵の奥にある本宅に案内した。南部の長者は、内心びっくりして、(これは、噂以上だ)と思ったが、(なに、俺だって南部一の長者だ!)と、腹を据えて、縁側から田圃の方を眺めて。「俺の家の田は、お日様が、田から昇って、田の中に沈みます」と、鼻をこすり自慢げに語った。
 すると、掃部長者は、笑いながら、静かに言った。「なーに、(田圃が)余計にあっても、大変なもんです。畔塗りだ、苗代ならしだ、田打ちだと、三千人ほど手が掛かる。ここから見えるところは、すべて私の苗代です」と言ったら、南部の長者は、ろくに帰りの挨拶もせず、コソコソと帰っていった。

3. 柿長者   |づもな||戻る|
 村に、罠掛けの名人が居た。獣の通る道なら、大変に詳しい男で、秋の仕事が終わると、頻繁に山に入って、罠掛けをしていた。
 ある朝、罠を掛けた処に行って見たら、大きな狐が掛かっていた。「これならたいした上等の毛皮になるな。この冬は、女房にも新しい角巻(防寒布)を買ってやれるな」と、狐を背負って山を下りてきたら、なにか、後ろの方で、ガサモソと音がした。急に振り向いて見たら、小さな狐の子が一匹、泣きそうな顔をして、背負っていた狐の方を見ていた。
 何十年と罠掛けをした男だったが、なんだか可哀想になって、背負っていた狐を放してやった。罠に挟まれた足を、痛そうにして、藪の中に、二匹で消えた。
 「人も獣も、親子の情は変わらないものだなぁ」と、男は死んだ親や、自分の幼かった頃のことを、思い出して、以来、罠掛けは、止めてしまった。
 そのせいで、男はまた貧乏暮らしになった。ある時、姿の立派な若者が、柿の苗木を何十本か、届けてくれた。それから何年かして、その柿の実は、大変美味しくて、数もなるおかげで、男はたちまち大金持ちになった。
 その若者は、何年か前の子狐だったらしい。桃栗三年柿八年、辛抱する木に金がなる、ということだ。

4. 黄金の馬   |づもな||戻る|
 この辺は、昔から、馬の名産地だ。一二○○年も前に、大和朝廷がこっちの方へ攻めてきて、大変いい馬を、八十五疋もぶんどつてきたと、得意になって報告したりしている。
 江戸時代に、伊勢参りをするというのは、大変なことで、お金もかかるし、水盃を交わして旅に出るほど、一生に一回もあるかないかのことだった。
 ある男が、どうしても伊勢参りに行きたくて、沼の主へ、旅費を借りに行ったら、「なかなか信心深い若者だから、費用はあげるから、そのかわり用事を頼む」と、言われた。伊勢に行く途中で、江戸近くの沼の主に、その手紙を届けた。すると、「手紙を届けてくれたお礼だ」と、見たこともない、輝く馬を一疋貰った。
 伊勢参りから帰ってきた男は、江戸の沼の主に言われた通り、毎日一粒ずつ、豆を食わしていたら、毎日のように、馬糞と一緒に小判一枚ずつ出した。おかげでその男は、次第に裕福になった。
 それを見た本家の兄が、ある時、別家の弟の留守を見て、一斗程の豆をごっそり、食わせた。すると、驚いた馬は、小判を出すどころか、兄が埋まるほど、たくさんの馬糞をして、西山(奥羽山脈)の方へ逃げて行った。駒ヶ岳の馬の雲形というのは、その時の馬だ。

5. 尻あぶり   |づもな||戻る|
 昔は、伊勢参りをするのが、一生の願いだった。だが、何十日も旅をするから、旅費はかかるし、時には、途中で病に倒れたりして、無事帰れないこともあったから、辛抱してお金を貯めて、いざ出発となれば、親戚みんなで、水盃など交わして行った。
 前沢の川向かいの東山に、長者が居た。金には、不自由していなかったから、周囲から、おだてられて、村の代表で伊勢参りへ行くことになった。
 道中もお供を連れて、たいそう贅沢をして、なんとか伊勢の里に着いた。宿に草鞋をぬいで、翌朝、立派な身仕度をして、伊勢神宮の鳥居をくぐった。そして、本殿の前に立ったら、「なーんだ、こんな程度のものか、我が家の厩よりも小さなもんだなー」と、大きな声で、お供の男に言ったら、全国から参詣に来ていた人達も、驚いてしげしげと長者の顔を見た。
 それでも先ずお参りをして、家に帰ってきた。前沢の入口まで来たら、大騒ぎをしていて、「何かあったのか?」と見たら、長者の屋敷が、火事だった。すると長者は、太っ腹なもので、いきなり、べろっと尻まくりをして、「なんと、川のこっちまで暖かいぞ、さあ、皆で、尻でも炙ろう」と語った。

6. 金の雨   |づもな||戻る|
 田畑も少ししかなくて、貧乏ばかりしていた爺が居た。それでも、その爺は怠けず、懸命に、毎日鍬を振っていた。
 日照り続きで、種を蒔いて芽が出ても、縮れてしまって、「今年の秋は、何にも食うものが採れないな。雨が降ってくれればいいなぁ」と思っていた。
 ある晩その爺は、空から黄金の雨が降ってくる夢を見た。「どっちにしろ、雨が降らないのなら、銭の雨でも降ってくれればなぁー」と、翌朝も、裏の畑で畝を立てていたら、鍬の先に、何かガツンとさわった。石でもあろうと、掘ってみたら、瓶が出てきた。
 その瓶の中に、大判小判がびっしり入っていたが、正直で、働き者の爺は、「これは俺のものじゃない。土の中の物だから、誰かが埋めたのだろう」と、埋め返してしまった。
 ところが瓶を開けたとき、眩しい光りが出たのを、向かいの畑に居た隣の欲張り爺が、見ていた。すると、隣の爺が、夜中に、こっそり来て、その瓶を掘り出して、家に持っていって、開けてみた。
 するとなんと、黄金どころか、ビカビカ光る蛇の目が、もやもやと動いていた。驚いたあげく、腹を立てた欲張り爺は、隣の正直爺の家の屋根から、瓶(の中の物)を撒き散らしたら、なんと今度は、大判小判の雨になって、正直爺の炉端に、ザンザと降ってきた。

7. 大根汁   |づもな||戻る|
 小理屈ばかり言って、いっこうに働かない兄と、□数も少なくて、よく働く弟がいた。働かない兄が裕福ではないのも、当たり前だが、弟の方だって、似たような貧乏暮らしだった。
 けれども、弟の妻も似た者夫婦で、文句を言うどころか、仲良く暮らしていた。ある晩、弟達夫婦が、栗飯と大根汁に、白菜の漬物でご飯を食べていたら、なんということもなく兄が入って来て、「あーあ、内の女房の作った飯は、何を食ってもうまくない!お前のところじゃ何を食ってるんだ」と、鍋を覗いた。
 「うまそうな、大根汁だな」と兄が言ったら、弟の妻が、「お兄さん、どこでも似たようなものです。こんなものでもよかったら、召し上がって下さい」と、お椀を出した。すると兄は、一杯掻き込んで食べ、空のお椀を突き出し、「なんとうまい。もう一杯くれ」と言った。
 「あのな、お前の家のこんなにうまい大根汁、どのようにして作るのか、俺の女房に教えてくれ」と、兄は、弟の妻に聞いたら、無口な弟が言った。
 「兄さんよ、今日、畑で鍬を持ってる兄さんを、久し振りに見ました。内の大根汁は、なにも特別においしいのではありません。姉様(兄嫁)の作るのと同じです。ただ、今日は、兄さんが働いた後だから、おいしいと思ったのです」
 以来、兄も働くようになり、兄弟共に裕福になった。

8. 二百十日   |づもな||戻る|
 庄屋の家に、ある時、見たことの無い男がやって来て、「どんな仕事でもいいですから、私を雇って下さい」と言った。見ず知らずの男だったが、そこは慈悲深い庄屋だったから、とりあえず働かせてみることにした。
 ところが、この男、ろくに百姓もしたことが無いとは言え、庄屋で一番働きの悪い男の半分も働かない。その割りには、ご飯ばかりはほかの働き手の三倍も喰らうから、いくら仏様みたいな庄屋の旦那様も、「今日で十日目だが、少し見込みが無いようだから、辞めてくれ」と言った。
 男も自分の働き振りが悪いのは分かっていたから、「仕方ないです。出て行きますが、足代だけでも…」
と言ったら、庄屋が、懐から二百文出して、男に渡した。それを受け取った男は、もそもそとして、なかなか去らなかった。
 庄屋が「どうした?」と言うと、男は「どんな計算か、十日分にしては少し…」「今日の暦を見ろ、二百十日だ。二百は十日だ!」と庄屋が言った。屋敷から出た男は、いくらも経たない内に戻って来て、台所の鍋釜をひっくり返して、大暴れした。
 驚いた庄屋に、男は「二百十日の嵐です」と言った。一本取られたな。立春から二百十日目で、稲が大きくなる頃だ。今年も荒れなければいいなぁ。

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