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喧噪の都エジプト・カイロの水高同窓会

 

喧噪の都エジプト・カイロの水高同窓会

及川仁さん(1980年卒)と北田智恵美さん(1991年卒)


    終日鳴り止まぬ自動車のクラクション。未明まで派手なイルミネーションを光らせ、ベリーダンス音楽を大音量でまき散らすナイル川の観光船。1日5回、早朝から夜まで街中のモスクのスピーカーから大音量で響きわたるアザーン(礼拝の呼び掛け)の朗唱。頭の上に山盛りのパンの大皿を乗せた人々が自転車で行き交う早朝の街角―。

「中東で一番騒がしい都市」(地元メディア)とも形容されるエジプトの首都カイロに、5年前まで水沢高校同窓会が存在していた。会員は国際協力機構(JICA)カイロ事務所に勤務していた北田智恵美さん(1991年卒)と共同通信カイロ支局長として勤務していた筆者、及川仁(1980年卒)の2人である。

レバノン戦場メシ

「レバノン戦場メシ」 レバノンの民兵組織ヒズボラとイスラエル軍の戦闘停止発効を受け、同軍の激しい攻撃が続いたレバノン南部ティールでの取材を終え、宿泊先でカメラマン宮嶋茂樹さん(左)、ジャーナリスト綿井健陽さん(右)と夕食を囲む筆者(中央)=2006年8月15日撮影

 北田さんが滞在していたのが2007年3月から10年3月までの3年間、筆者が滞在していたのが06年7月から10年1月までの約3年半だったのだが、お互いが同窓生と気付いて〝活動〟を開始したのが07年春ごろだったので、「カイロ水高同窓会」の活動期間はおおむね2年10カ月ぐらいだったことになる。

  JICAは日本政府が行うODA(政府開発援助)、つまり途上国支援を実施する機関。北田さんはそのカイロ事務所の勤務ではあったが、主に担当していたのはエジプトそのものへの支援というよりは中東、北アフリカの地域大国であるエジプト政府と連携しながらのサブサハラ・アフリカ諸国への支援だった。サブサハラとはサハラ砂漠以南のアフリカ諸国が対象地域で、具体的にはタンザニアやエチオピア、ケニア、ガーナ、アンゴラ、ガボンなどへの農業、かんがい、保健医療など〝BASIC HUMAN NEEDS〟と呼ばれる分野での技術移転を通じた援助だという。

アフリカ大陸北東の端に位置するカイロを拠点に、北田さんはこの大陸全体を支援のために奔走していた。これらの国々はエイズなどの感染症による死亡率が非常に高い地域だ。「日本人であれば食事の前に手を洗うという行為が日常化していて、これにより多くの感染症を未然に防ぐことができるのですが、国による慣習の違いもあり、洗うのは食事の後、という人が相当います。手洗いやごみの分別など簡単なことをするだけで感染症は相当防げるのですが…」と北田さんは話す。

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写真はアフリカの農業研修員とカイロ市内のエジプト農業省庁舎でツーショットに収まる北田智恵美さん=2008年1月16日撮影

これら生活習慣の異なる地域での仕事は粘り強い地元の人々との対話や、自分自身への健康への配慮など、心身ともに苦労も多かったはずだが、北田さんはいつ会っても元気で明るかった。

 筆者は中東・北アフリカを担当する記者として、1カ月のうち3分の1から半分は出張という生活。イラクやシリア、レバノン、ヨルダン、トルコ、イラン、イスラエル、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、バーレーン、カタール、リビア、時には担当地域を越えたサブサハラのエチオピアやナミビアなど、あちこちを取材で駆け回った。

とりわけフセイン政権崩壊後の内戦状態が続いていたイラク、イスラエル軍とイスラム原理主義組織ハマスの戦闘が続くパレスチナ自治区ガザ、同じくイスラエルと戦闘を続けるイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが拠点としていたレバノンなど、こうした地域では砲撃や空爆が行われていない場所を選び、自分自身が標的にならないよう慎重に行動しなければならない。一方で中東は原油や天然ガスなど日本が依存するエネルギーのほとんどを抱えており、この地域の情勢を日本に伝えることは重要だ。多様な社会、民族、文化をあれこれ切り取って伝える仕事はしんどいことも多かったが、それを上回る面白さがあった。

 そんな会員2人が同時期にカイロにいることはむしろまれ。しかし、何かと機会を見つけては、家族のいる筆者のアパートに北田さんをお招きしての〝総会〟をしばしば開催していた。いまさら後悔しても仕方がないが、そんな「カイロ水高同窓会」が存在していた当時にもっとリアルタイムの活動報告をしておくべきだったと反省しきりである。

 チュニジアを発端とした「アラブの春」がエジプトに波及、カイロから全土に反政府デモが拡大し、ムバラク独裁政権が倒れたのは筆者、そして北田さんが相次いでカイロを去った翌年の2月になる。ジャーナリストとしての筆者にとっては、歴史的政変に立ち会えなかったことに少し残念な気持ちもあるものの、「アラブの春」で生じた混乱に乗ずる形で勢力を拡大した過激派組織「イスラム国」が、エジプトを含む中東全体の治安に暗い影を落としている現在、カイロ水高同窓会が活動できたあのころはやはりいい時期だったのだろうとも思う。

 現在は北田さんも筆者も東京の勤務。この原稿の取材を口実に久しぶりの〝総会〟を都内の北アフリカ料理店で開催、積もる思い出話で盛り上がったのは言うまでもない。カイロ以外でも1995年から1年数カ月駐在したベオグラードでも当時の在ユーゴスラビア日本大使館医務官の奥さんが同じく水高の後輩ということもあった。

 

いまや北米や欧州だけでなく、地球上のあらゆる意外な場所に水高同窓会が広がっている。途上国の格差拡大につながるなどの批判もあるグローバル化だが、水高同窓会のグローバル化はうれしい限り。世界各地の隠れた水高同窓会には、筆者のようにタイミングを逃すことなく、ぜひ現在進行形の同窓会報を寄せてほしい。

(1980年卒・及川仁)