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輝く同窓生たち 第5回ゲスト 白磁器の名工、砥部焼の工藤省治氏

輝く同窓生たち 第5回ゲスト

 白磁器で現代の名工として知られる砥部焼きの工藤省治氏

 

 水沢高校卒業後、愛媛県の砥部で陶芸の道に進み、砥部焼きの「春秋窯」を設立、砥部焼の代名詞的デザインとなっている白磁染付の「唐草文」を考案し、数々の個展や国際デザイン展に出品、白磁器の第一人者として「現代の名工」厚生労働大臣表彰を受けた。

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工藤省治氏インタビュー

 Q(山口光関東地区同窓会会長):

 工藤さんは水沢高校を卒業されてから砥部焼きで有名な愛媛県の砥部に渡り、陶芸の世界に入られたわけですが、その動機、きっかけとはどのようなものだったのでしょうか? 水沢高校時代に影響を受けた先生はいらっしゃいますか?当時、美術を教えておられたのは岩田先生でしたが?

 A(工藤 省治氏)

 水沢での学生時代は専ら絵を描いていました.遊び道具を作ったり、「カタチ」になるものに興味を持っていました。美術教師の岩田先生には,古代美術、近代、現代の美術及び工芸への教へを受けました。その後表現活動への憧れもあり、彫刻や陶磁の「カタチ」への想いは、先生の博学の指導が進む道の規範になったと思っています。

 Q: 砥部焼きの梅野製陶所に入られたころの思い出についてお話いただけますか?砥部焼の代名詞的デザインとなっている白磁染付の「唐草文」は、戦後の産地再生の取り組みの中で当時梅山窯の陶工だった工藤さんによって考案されたといわれておりますが、当時の様子や、「唐草文」のデザインを考案されるまでのご苦労などについてお聞かせください。

 A(工藤 省治氏)

 1970年代に東洋陶磁の中で、ペルシア陶器の「唐草」をイランの博物館でスケッし、変化させながら生まれてきた文様です。企業デザイナーはその文様を描ける職人を育てることを怠ってはだめで、私自身の技術への挑戦と表現力を維持しなければならないのです。無言のうちに東洋の一角で美学への普遍性を保たねばと思っています。

 Q:1960年代に現代陶芸作家として活躍を始められ、1970年代に入って国際的なデザインコンペティションなどにも出品され、砥部で陶磁器研究工房の「春秋窯」を設立、白磁器の作り手としての世界を確立されました。地域の陶芸産業とデザインの関係など、そのころのことを聞かせてください。

 A(工藤 省治氏)

 日本のデザイン運動は,昭和30年代の始めに東京の丸善クラフト・センター・ジャパンという組織が発足しました。国は工芸デザインの指導者の地域産業への啓蒙運動に動きだし、私も賛同して手仕事への影響を受けました。私のデザインした器が少しづつ,世の中に出始め、商品価値のある「モノ」になってきました。 「ものまね」ではなく、「オリジナル」文様が必要条件になり、それに執着した時代があり、現在も土着性のある器作りをして居ります。

 Q:欧州諸国や北欧、中国、インド、韓国などに足を伸ばされ、陶磁器のデザインの視察をされていますが、ヨーロッパや中国、韓国などと比べて日本の陶芸のデザインの独自性や特色とはどのようなものでしょうか?

 A(工藤 省治氏)

 1980年代に北欧3国で,世界デザイン会議があり、1か月程滞在した際、陶磁器デザイナー及び各職種の意見を聞き,国のデザインを決めるということに共感しました。中国は古来伝統そのままにの生産をし、韓国では,新しいデザインの流れが始まっているようです。

 日本では個人作家、現代風の表現になり、企業デザインは人材育成をしながら、独自性をだそうとしていますが、大変な作業になっています。私は100ほどある窯との勉強会には「オープン」にして,デザイン、陶画などの教室を開いています。その中では窯主も次第に個性ある器を作り始めています。

 Q:最後に郷里、水沢が育んだものとは何ですか?高校生時代の思い出をもう少し教えてください。そして今、水沢高校の生徒たちに最も伝えたいこととは何でしょうか?

 A(工藤 省治氏)

 高下駄履いた「バンカラ」学生でした。 私の頃の水高サッカー部は強かったのです。東北大会に出た経験があります。

 教室では国語の先生を困らせたことがあります。もっと「高レベル」な講話をしてくださいと発言した覚えがあります。それは「ダンテの神曲」(の授業)でした。先生からはわからなくても読んでみろといわれました。

 私の学生時代には,古典、明治・大正の書物を読んでいました。特に詩集はたくさん読んでいたのです。

 21世紀の水高生に対する私の願いがあります。

 「活字」を常に手もとに、日本語を勉強してください。「本」を読む学校にしてください。(運動も英語も大事ですが)

 水高の校歌は昭和28年の私どもの卒業の時に「歌い」ました。(実は私の発案で校歌を歌うことが叶ったのです。)

 


 

工藤 省治氏略歴

 

1934年 青森県生

1953年 岩手県立水沢高等学校卒

1957年 砥部焼 梅野精陶所 入所

1963年 東京日本橋丸善 第一回「今日のクラフト展」招待出品

1964年 第1回 丸善クラフトセンター賞 受賞

1965年 「愛媛現代美術家集団」結成に参加 以後継続

1966年 「現代日本新人作家展」招待出品

1972年 イタリア「ファエンツァ国際陶芸展」招待出品

1973年 「国際デザインコンペティション」出品

1974年 陶磁器研究工房「春秋窯」設立

1979年 第5回「日本陶芸展」出品

1981年 第6回「日本陶芸展」出品

1982年 「国際デザイン交流展」(金沢市)招待出品

1984年 「伝統と現代」(モスクワ)招待出品

1988年 「近代日本の陶芸展」(福島県立美術館)招待出品

1989年 第17回 国井喜太郎産業工芸賞 受賞

1992年 伝統産業展 生活産業局長賞 受賞

1997年 「現代日本のセラミックデザイン展」(愛知県陶磁資料館)招待出品

2000年 「現代器考」(東京国立近代美術館工芸館)招待出品

2001年 通商産業大臣 デザイン功労者表彰

2004年 厚生労働大臣表彰(現代の名工) 平成16年度「卓越した技能者」の表彰

2007年 黄綬褒章受賞

2015年3月 愛媛県無形文化財砥部焼技術保持者に認定

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陶芸の世界に入ったきっかけはという問いには、「絵画の世界からこの世界に入ったのは、表現者としての職種である」と語り、どこで陶芸を学んだかという問いには「砥部焼業界の職人達の中で生産に従事しながら学ぶ」と答えている。

作品の特徴は「白磁器」で、今後手がけてみたいこともまた「白磁器」だという。

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窯元名 春秋窯

住所  〒791-2133 愛媛県伊予郡砥部町五本松888

代表者 工藤 省治

「現代砥部焼の原点」 工藤省治の仕事と昭和のデザインプロジェクト の特別展が2014年3月、 松山市堀之内の愛媛県美術館で開催された。砥部焼の代名詞的デザインとなっている白磁染付の「唐草文」は、戦後の産地再生の取り組みの中で当時梅山窯の陶工だった工藤省治氏(砥部町在住)によって考案された。作陶55年を迎えたその足跡をたどると、昭和30年代に砥部焼産地形成のきっかけとなった一大デザインプロジェクトが見えてくる。梅山窯時代の仕事を含む作品約100点を展示。産地産業とデザインの関係を見つめ直し、現代砥部焼の原点に触れる展覧会を開催します」と紹介されている。

     染付唐草文皿

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所属: 日本クラフトデザイン協会、日本陶磁器デザイン協会、日本伝統工芸士会、愛媛陶芸協会、

陶磁器デザイン視察 : ヨーロッパ (1971年) 、中国 (1978年) 北欧(1981年) インド(1989年) 韓国 (2005年)