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「幻の歌82年ぶりに復元」発禁処分の政宗「御藩祖をどり」たどり、今春にも演奏会(佐々木伸氏の日本経済新聞1月9日朝刊文化欄の記事)

幻の歌82年ぶりに復元(佐々木伸氏)

(日本経済新聞2018年1月9日の文化欄から)

発禁処分の政宗「御藩祖をどり」たどり、今春にも演奏会

私が住む仙台市に1935年にたった一度、演奏されたきりで発禁処分になった幻の「ご当地ソング」がある。初代仙台藩主、伊達政宗の三百回忌を記念して制作された「御藩祖をどり」だ。私は歌詞や楽譜を探し、八十二年ぶりに原曲を復元、市内の合唱団「いずみオッチェンコール」が今春にも杜の都に再び歌声を響かせる。

(記事はタイトルの緑色の見出し部分をクリックしてPDFファイルでご覧ください。)

(注)記事画像は日本経済新聞社の許諾を得て掲載しています。

 

謹賀新年

 

第19回水沢高等学校関東地区同窓会を開催

第19回水沢高等学校関東地区同窓会を開催

 水沢高等学校関東地区同窓会の総会が2017年11月19日(日)、東京都千代田区二番町の東京グリーンパレスで開催されました。総会には同窓生や学校関係者ら71人が参加、水沢から水高同窓会本部の長野耕定会長(19回生、昭和42年卒)、立花起一校長、谷木悌典事務局長(32回生、同55年卒)、仙台支部から事務局の佐々木伸さん(25回生、同48年卒)が出席。山梨県北杜市立浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館館長を務める澤谷(後藤)滋子さん(24回生、同47年卒)が「朝鮮の土となった日本人~今、なぜ、浅川巧なのか?~」と題して特別講演を行いました。

 総会では開会に当たり、山口関東地区同窓会会長が「諸先輩が長年にわたり育ててきた水高関東地区同窓会の伝統を守り、時代に即した魅力ある会にして、さまざまな世代の同窓生の相互交流の場として活用していけるような活動をしていきたい」と挨拶。さらに、同窓会からの情報発信について「より若い世代の情報発信を醸成できるようフェイスブックなどソーシャルメディアの活用も進めていきたい」との意欲を示し「同窓会の組織や運営をより開かれた分かりやすいものにし、今後の同窓会運営に、より多くの皆さんの参加をお願いしていきたい。そのためには参加しやすい、相互交流が生まれる環境を整備することが重要で、特に若い同窓生の皆さんの参加を促進し、世代間の交流の場となるよう願っています」と述べました。
 

 総会では平成27年から同29年までの活動経過報告と決算報告、平成29年から同31年までの予算、活動方針が承認されました。役員交代として、副会長を務めてこられた伊藤英俊さんと千葉佳胤さん(14回生、昭和37年卒)が退任し、新たに及川仁さん(32回生、昭和55年)が副会長に就任、運営委員を務めてこられた刀根清さん(19回生、同42年卒)、佐々木敏夫さん(26回生、昭和49年卒)、長岡武志さん(36回生、昭和59年卒)の3氏退任、さらに、監事の大林千一さん(20回生、昭和43年卒)が退任し、副会長を退任された伊藤英俊さんが就任しました。


 総会後は参加者全員で集合写真を撮影。その後は懇親パーティに移り、来賓の長野同窓会長の挨拶、立花校長から水高の近況報告があり、山口会長による乾杯の後、まずは『逍遥歌』の由来の考察を出版した仙台支部の佐々木伸さんと作詞者阿部庄一郎先生の御息女の松樹偕子さん(3回生、昭和26年卒)によるトークに始まり、出席者が近況報告など2時間余り和やかに歓談。最後は応援団リーダーOBの皆さんのタクトで第二応援歌、逍遥歌を歌い、校歌斉唱と「フレー、フレー、水高」のエールで締めくくり散会しました。
その後はまだ日の高い都内で多くの参加者がそれぞれの同期を中心に二次会へと流れていったようです。
隔年で開く総会は次回、東京五輪・パラリンピックを翌年に控えた2019年開催の予定です。

「朝鮮の土となった日本人 今、なぜ、浅川巧なのか」山梨県北杜市立浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館館長、澤谷滋子さん講演要旨

◎澤谷滋子さん講演要旨

 2017年11月26日に東京都千代田区二番町の東京グリーンパレスで行われた水沢高等学校関東地区同窓会で24回生、昭和47年卒の山梨県北杜市立浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館館長、澤谷滋子さんに「朝鮮の土となった日本人 今、なぜ、浅川巧なのか」と題して特別講演をしていただきました。

 

 北杜市のホームページによると、資料館の概要は以下の通りです。

 北杜市高根町出身の浅川兄弟は、日本統治下(1910-1945)の朝鮮半島で生活しましたが、朝鮮の人の立場で朝鮮を捉えようとした数少ない日本人でした。

 この資料館は、朝鮮工芸の美に魅せられた浅川兄弟の人と業績を紹介し、日韓友好親善の情報発信地でありたいと願って2001(平成13)年に開館されました。

 資料館には兄弟の足跡がわかる年譜やビデオ解説、ジオラマ、朝鮮青磁・白磁のほか、朝鮮陶磁研究家であり芸術家であった伯教が残した書や絵画の数々、巧が朝鮮の人々へのさまざまな想いを綴った日記など、貴重な資料が展示されています。

 

参考:ホームページURL https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/docs/1635.html

 

 澤谷さんは講演で、大学進学のため東京に出て結婚し、雑誌・書籍編集の仕事を続け、30歳を過ぎて子供が生まれたとき、「山を見ながら暮らしたい」と、八ケ岳山麓にある現在の山梨県北杜市に家族で移住した経緯を語りました。その後「新住民」として地域になじもうと地元の活動に積極的に関わるうち、地元教育委員会の依頼で郷土資料館を立ち上げ、現在の資料館の学芸員となったそうです。

 

◎浅川巧の映画「道、白磁の人」製作・宣伝などに水沢高校同窓生が支援

 

 資料館の啓発活動が実を結び、浅川巧の生き方に感銘を受ける人が年々増えてゆき、日本と韓国と合作で映画をつくろうという大きなプロジェクトが立ち上がり映画に1億円提供する、という人が現れました。そして5年前、7年の年月と、3億円という予算をかけて、浅川巧の映画「道、白磁の人」ができあがりました。監督は紆余曲折の末、袴田事件を扱った社会派の映画作品などで知られ、女優、高橋恵子さんの夫でもある高橋伴明さんが引き受けてくれたそうです。

 

 澤谷さんは、この映画製作に携わる中で「思いがけないことに、水沢高校の先輩、後輩、同期の皆さんに、たいへんお世話になったのです。本当に今思い返しても、胸が熱くなるような、チカラをいただきました」と述べ、この映画を作っているという話が同級生から伝わると、新聞部の後輩たちが、自分が関わっているメディアを通じて映画宣伝のPR文を、どんどん書いてくれたことや、自分が編集長を務める業界新聞にも書いてくれたこと、同級生が、NHKの「ラジオ深夜便」にも出させてくれ、宣伝させてくれたこと、チケット販売が始まると束で売りさばいてくれたこと、山梨の資料館まで岩手から突然来て、なんと5万円分もの映画普及グッズを即金で、買ってくれた同級生もいたことなど、さまざまな熱いエピソードを紹介しました。

 

 澤谷さんが今回の講演依頼を断れなかったのは「こうした水高同窓生の動き、熱さ、それを皆さんに報告しなくては、という思い」「まさか卒業40年後に、会ってもいなかったのに、こんなに水沢高校に助けてもらうとは思ってもいませんでした。それも、山梨県という、離れた土地で」との感謝を伝えたかったからと語りました。

 

 澤谷さんは、浅川巧が脚光を浴びるきっかけになったのが、1970年代、戦後の思想界を代表する哲学者であり、後藤新平の孫でもある鶴見俊輔さんが、雑誌「思想の科学」で巧の功績に言及したことだったと述べ、水沢との遠からぬ縁についても披露。巧の現在の役割は巧を仲立ちにして、100年前からの日本と韓国の歴史を知り、今後を考えるための手段であり、鶴見俊輔さんは、韓国人の心に残っていた浅川巧を記録し、残し、一人の生き方を手段として、政治や時代に制約された世の中で、どういうふうに付き合っていくかを考える、共通項の1つをつくりたかったのだと思う、と締めくくりました。

                                                                                                                              (文責・32回生 及川仁)

宮城の食材を味わう昼食会 水高同窓会仙台支部

長雨記録の仙台ですが、秋の収穫が心配です。楽天イーグルスの勢も下降気味です。皆様には、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、今年も学校長、本部同窓会長等をお迎えして交流会を開催いたします。水沢高校の今を写真で見ながら、楽しいひとときを持ちたいと考えております。

 昨年は仙台支部の総会で、新会長、2人の女性副会長、6人の若手(?)役員が就任。女性参加率は40%を超えております。先輩方も引き続き、盛り上げていただきますようお願いいたします。気楽な昼食会ですので、どうか、同窓の友人、知人にお声がけをいただき、ご参加ください。最近は、若い同窓の方で仙台にお住まいでも、御案内状をお届けできないケースが増えています。本メールで、お声がけをお願いします。よろしくお願い致します。

   水沢高等学校同窓会仙台支部会長 村上栄一(昭和48年卒)

 

             記

 

日時:平成29年11月12日(日) 午前11時~

会場: ホテルレオパレス仙台

(仙台駅東口徒歩4分、ヨドバシカメラ東入口、南方向)

仙台市宮城野区榴岡4丁目6-28 TEL: 022-706-0001 

会費:お一人 5,000円

※準備の都合上、10月27日(金)必着で、出欠をお知らせください。

<連絡先>:佐々木伸 

 981-3101 仙台市明石南1-24-2

 携帯090-6226-5617    TEL&FAX 022-218-1918

 jet.shin-mds@jcom.home.ne.jp 

第19回 水沢高等学校 関東地区同窓会開催のご案内

関東地区在住の同窓生の皆様
                                                                                                                       水沢高等学校関東地区同窓会
                                                                                                                               会長  山口 光

 

                                       第19回 水沢高等学校 関東地区同窓会開催のご案内

  関東地区同窓会を、下記の通り開催致します。地元から同窓会長、水高校長はじめ関係者の方々をお招きします。旧知の同窓生との再会、新たな同窓生との出会いや異業種交流など、青春の時を「竜ヶ丘」の学び舎で過ごした縁を想い、故郷に想いを馳せながら語りあい水高出身者の絆を深める機会にしたいと思います。
 また、今回の特別講演は、山梨県北杜市立浅川伯教・巧兄弟資料館館長 澤谷(後藤)滋子様(第24回 昭和47年卒)にお願いしました。澤谷さんの活動は、5月3日の朝日新聞の「リレーおぴにおん」で紹介されています。http://digital.asahi.com/articles/DA3S12920950.html(朝日新聞デジタル)
 同窓生の皆様には是非ご出席下さいますようご案内申し上げます。

 過日、同窓会本部に登録のデータに基づき、関東地区在住の同窓生の皆様に開催案内をお送りしましたが、お手元に届いていない場合は、下記メールアドレス、またはお手紙で事務局宛ご連絡ください。(氏名、住所、卒業年次、出欠を明記してください)

      
                 ─ 記 ─
日時:平成29 年11 月19 日(日)11 時〜15 時
  受付開始  10 時30 分
  総  会  11 時00 分〜11 時25 分
  特別講演  11 時30 分〜12 時30 分
  懇親会    12 時45 分〜15 時00 分(閉会)
会場:東京グリーンパレス(全国市町村職員共済連合会) 大宴会場「ふじ」
  住 所:千代田区二番町2番地 Tel(03)5210-4600(代)

  (会場アクセス)http://www.tokyogp.com/access/index.html

会費:8,000円(当日、受付で申し受けます)
  <内訳> 総会・懇親会費         6,000円
       同窓会費(事務連絡費等:2年分)  2,000円

〔問合せ先〕 同窓会に関するお問合せやご意見は、
  メール(同窓会アドレス:webinfo@imizuko.com)、または、事務局宛お手紙で、お寄せ下さい。
 ☆ 水沢高等学校関東地区同窓会事務局( こちらへの連絡は郵便でお願いします)
 〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3- 7 東京堂錦町ビル5階 株式会社 マガジンランド 内      水沢高校同窓会ホームページ(https://www.imizuko.com/)

                                    以上

H29年度同窓会総会議案書

ILCはなぜ北上山地が最適なのか?

◎深さ40キロまで一つの花崗岩の北上山地、地震に強く、ILCは9年で完成する

 

奥州市(水沢)にもほど近い北上山地が世界的な科学プロジェクト「国際リニアコライダー(ILC)」の建設拠点として最適だとの国際的な結論がでているが、なぜ北上山地なのかについては、これまであまり詳しく知られていなかった。

 このほど「ヒッグス粒子の発見」という科学史に残る業績を成し遂げたCERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の設計・建設を指揮し、リニアコライダー・コラボレーション・ディレクターのリン・エバンス氏がその理由を、「北上山地の地下は深さ40キロメートルまで一つの花崗岩でできており、地震に強い」「建設は9年で完成する」などと明確にわかりやすく説明しているので、ぜひ水沢高校同窓生の皆さんにお読みいただきたい。

 これは「HIILLS  LIFE」Dailyのサイトに掲載された「Innovation ILC 日本がサイエンス界のリーダーになる最後のチャンス」という記事で、次のURL アドレスで読むことができる。

https://hillslife.jp/innovation/2017/07/03/ilc/

 記事の中で、エバンス氏は「宇宙誕生の再現! なぜそんなスケールの大きい世界的な科学プロジェクトの候補地として、岩手県・北上山地に白羽の矢が立ったのでしょうか?」という問に次のように答えている

 

エバンス 政治的な意図を排除し、あくまでリニアコライダーの建設に向いているか、つまりは地質や電力供給、あるいは物流など、さまざまな尺度で検討を繰り返し、候補地を絞り込んでいきました。候補地を絞り込む作業には、10年以上かけていると思います。アメリカやスイス、ドイツ、ロシアにも候補地があったのですが、総合的に見ると、北上山地がベストだというのが現時点での結論です。

ILCは地下およそ100mに設置される予定ですが、北上山地の地下は、40㎞にわたってひとつの花崗岩でできているのです。これはとても特別なことで、ILCを作るためには欠かせない「安定感」につながります。地震が起きても岩全体が一緒に動きますから、装置には問題がないことがわかっています。

ちなみにILCの技術に関していうと、1/20サイズのプロトタイプがドイツで作られました。粒子の衝突実験ではなく、自由電子レーザーという放射光の施設なのですが、テクノロジー的にはまったく同じテクノロジーなので、「明日からILCの装置を作り始めろ」と言われても、まったく問題がないレベルまで成熟しています。

——実際、明日から作り始めるとしたら、どれくらいで完成するのでしょうか?

エバンス 2〜3年間かけて準備を行い、建設が始まってから9年で完成する予定です。

総工費は8000億円以上とみられます。当然、日本の税金が投じられるわけですから、日本国内でももっとILCのことが認知され、活発に議論されるべきだと思います。ちなみに、CERNが既に証明しているように、街づくりのなかで雇用は創出されるし、最新鋭のテクノロジーが導入されることによるスピンオフのメリットも、多いにあります。CERNの場合、経済効果は投入した資金の3倍といわれ、ILCでも同程度の試算が出ています。

エバンス氏は「ILCは日本のみならず、北米、ヨーロッパ、アジアの20カ国以上から、2000人もの研究者が参加する国際的な研究所になる予定です。基礎科学を使って、日本が世界平和をリードできる、大きなチャンスだと思います」と強調している。

(山口 光)

平成29年度岩手県立水沢高等学校同窓会総会のご案内

 今年度の水沢高等学校同窓会総会を下記の通り開催いたします。お盆を目前に何かとお忙しい折とは存じますが、本総会に御出席を頂きますよう御案内申し上げます。

 

1 日 時  平成29年8月11日(金)「山の日」

14:00~14:30 同窓会総会

14:45~16:00 講演研究者から見た岩手の子どもたちの学力」

       講師:佐々木幸寿  氏(S54卒 第31回生) 東京学芸大学 副学長

1960年岩手県奥州市(旧胆沢町)生まれ。東北大学経済学部卒業,東北大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専攻は,学校法学,教育行政学。

 大学卒業後,岩手県内の高校(盛岡南高校,釜石工業高校,黒沢尻北高校,一関第一高校),県教育委員会(指導主事,主任管理主事)に勤務。2006年から信州大学(助教授・准教授)に転じ,その後,東京学芸大学(准教授)へ移動。現在,東京学芸大学教授・副学長,教職大学院長。日本学校教育学会会長

主な著書に,『市町村教育長の専門性に関する研究』(風間書房,2006年),『憲法と教育』(学文社,平成2008年),『改正教育基本法 -制定過程と政府解釈の論点-』(日本文教出版,2009年),『東日本大震災と学校教育』(かもがわ出版,2012年),『学校法』(学文社,2017年)等がある。

 

16:20~18:30  懇親会

2 会 場 水沢グランドホテル(奥州市水沢区東町40 ℡0197-25-8311)

3 会 費 \3,000(懇親会費:当日受付にて頂戴いたします。)

 ご参加の有無につきまして、7月28日までに下記宛てメール及び電話でご連絡をお願いいたします。

(報告例 総会 ○ 講演会 ○ 懇親会 × のように連絡をお願いします)

※ お名前、卒業年、連絡先電話番号を必ずごお知らせください

 

岩手県立水沢高等学校同窓会

  事務局担当  谷木悌典(S55卒 高校32回生)

               TEL   0197-24-3152

            FAX  0197-24-3151

  Mail       mizukodousoukai@excite.co.jp

 

 

 

 

 

 

春季高校野球県大会水沢高校は黒沢尻工に敗北、ベスト8進出ならず

第64回春季東北地区高校野球県大会第3日の5月21日、夏の岩手大会のシード権を獲得するベスト8が決まったが、 水高は黒沢尻工に8点差をつけていたものの、追いつかれ、12-11で逆転サヨナラ負け、ベスト8に進めなかった。

花巻南は3連覇を狙う一関学院を8-5で破った。盛岡四は盛岡三に4-3で逆転サヨナラ勝ちした。久慈は専大北上を4-2で撃破した。大船渡東は4-0で宮古商を零封し、2008年の開校以来、初のシード権獲得。センバツ8強の盛岡大付、昨秋県大会4強の花巻東はともにコールド勝ちした。宮古は高田の追い上げをかわし6-5で逃げ切った。(岩手日報などから)

【写真=水沢-黒沢尻工 9回裏黒沢尻工1死一、三塁、高橋叶の右犠飛で三走及川がサヨナラのホームイン。捕手大内、球審阿部=野田】

同窓会報 第45号

平成28年度水沢高校同窓会総会を開催

 岩手県立水沢高等学校同窓会の平成28年度総会が2016年8月11日、水沢グランドホテルで同窓生と水沢高校の先生関係者など約90人が参加して開催された。

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総会の議事終了後、「私たちの暮らしと裁判」というテーマで東京地方裁判所裁判長の小野寺真也氏(S63年卒)が講演した。

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H28年度同窓会総会議案書

輝く同窓生たち 第6回ゲスト CERNで素粒子研究の最先端を担う
高エネルギー加速器研究機構教授 佐々木修氏

「輝く同窓生たち」

第6回ゲスト

CERNで素粒子研究の最先端を担う 

高エネルギー加速器研究機構

素粒子原子核研究所 教授

理学博士 佐々木 修氏

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 日本の素粒子研究を支える第一人者のひとり。奥州市江刺区出身。1975年水沢高を卒業後、東北大、同大大学院で原子核物理を学んだ。1985年に高エネルギー加速器研究機構(KEK)の前身、高エネルギー物理学研究所入り。ニュートリノ実験で有名な「スーパーカミオカンデ」に携わった経験もある。

 ジュネーブの欧州合同原子核研究所(CERN)で、物質の 最小単位である素粒子を調べる「アトラス検出器」の担当者として活躍。同検出器は2012年夏、CERNが発表した「ヒッグス粒子とみられる新粒子発見」 との画期的成果に貢献したことで有名。

 岩手県や奥州市が誘致を目指す国際リニアコライダー(ILC)についても「物理学者主体で選ばれたことを評価している。実現すれば千人規模の大研究所になるわけで、hospitalityの精神で住環境などの整備が進んでいけばよいと考えている」 と計画実現に期待を寄せている。

 

所属 :大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 / 素粒子原子核研究所 / 教授

研究課題の研究分野      :素粒子・原子核・宇宙線・宇宙物理 核・宇宙線・素粒子 先端加速器LHCが切り拓くテラスケールの素粒子物理学~真空と時空への新たな挑戦 素粒子・核・宇宙線 先端加速器LHCが切り拓くテラスケールの素粒子物理学~真空と時空への新たな挑戦

 

学歴

      1975年3月  岩手県立水沢高等学校卒業

      1975年4月  東北大学理学部物理系入学

      1979年3月  同上 物理学科卒業

      1979年4月  東北大学大学院理学研究科原子核理学専攻入学

      1981年3月  同上 修士課程修了

      1984年3月  同上 博士課程修了 博士号取得

職歴

      1984年4月  日本学術振興会 奨励研究員

1985年4月  ドイツ マックス・プランク研究所 研究員(ポスドク)

      1985年9月  高エネルギー物理学研究所 物理部 助手

      1997年4月  高エネルギー加速器研究機構(改組、改名)

素粒子原子核研究所 助手

      2000年2月  高エネルギー加速器研究機構

素粒子原子核研究所 助教授

       2010年4月  高エネルギー加速器研究機構

素粒子原子核研究所 教授

 

佐々木修氏インタビュー

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Q(山口光会長):

 水沢高校から東北大学、同大学院で原子物理学を学ばれ、1985年に高エネルギー加速器研究機構(KEK)の前身、高エネルギー物理学研究所に入られました。水高時代から原子物理学を志していたのでしょうか、高校から大学時代の思い出や研究生活に入った動機などをお知らせください。

 

A(佐々木修氏):

 私は理数科で40人のクラス、3年間一緒でした。周りを見ると医学部志望の人がクラスの中に10人以上もいる事が分かりました。(実際には5名が医者になっています) 私も中学の時は「脳外科医」になりたいと思ったこともありました。「天の邪鬼」的な気持ちと、人とは違うより基礎的な事をやりたいと言う気持ちがだんだん強くなってきたのを覚えています。

 

高校2年から物理学への世界に関心

 

 高校2年の時に(たぶん)、江崎玲於奈さんがノーベル物理学賞受賞というニュースを聞き、物理学への思いが増していきました。寺田寅彦の随筆を読み、物理学者の物の見方、観測とその考察の進め方など新鮮な物を感じました。「観測される不思議なもの」(時には、普通は不思議とも思われない物)に、論理だった説明を加える、その説明のためには時には「新たな粒子」の存在を仮定し、論理立った、そして秩序立った仮定をおこなう。そのような物理学の世界に関心を抱くようになりました。

 私が大学に入学した昭和50年は、学生運動最末期の時代でした。ストとか学生による教室の占拠などもあり、大学1年の冬休み以後は1週間ぐらいしか授業が行われず、そのまま機動隊の学内導入下で期末試験が行われました。留年率もかなり高かったと思います。

 大学院への進学は当初から考えていました。東北大学は、天文、地球物理、物性・固体物理、原子核、素粒子物理と幅広く豊富な講座があります。素粒子実験の講座は、ほとんどの先生が海外に出張していたりで講義も休講が多かったです(呼びに行くといないなど)。今では決して許される状況では無かったと思いますが、このような状況の中で原子核実験の講座に進学し博士号を取得しました。

 幸いにして、高エネルギー物理学研究所で建設されていたトリスタン計画(素粒子実験)の助手として就職することができ、現在に至っています。

 

スーパー・カミオカンデ実験に参加

 

Q:ニュートリノ実験で有名な「スーパーカミオカンデ」に携わった経験もあると伺っておりますが。

 

A:(佐々木修氏)

 1992年から1998年にかけて、スーパー・カミオカンデ実験に参加しました。測定器(PMT:光電子増倍管11200本)からの信号の時間情報と光量情報のデータ収集を行うシステム構築を担当しました。

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スーパーカミオカンデ検出器は、5万トンの超純水を蓄えた、直径39.3m、高さ41.4mの円筒形水タンクと、その壁に設置された光電子増倍管と呼ばれる,約1万3千本の光センサーなどから構成されています。岐阜県飛騨市神岡鉱山内の地下1,000mに位置しています。

スーパーカミオカンデ実験の目的の一つは、太陽ニュートリノ、大気ニュートリノ、人工ニュートリノなどの観測を通じて、ニュートリノの性質の全容を解明することです。1998年には、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見し、さらに2001年には、太陽ニュートリノの観測により、太陽ニュートリノ振動を発見しました。2011年には人工ニュートリノによって第3の振動モードも発見しました。ニュートリノの性質を解明することは、宇宙の初期に物質がどのように作られたかという謎に迫ることにつながります。

スーパーカミオカンデはニュートリノを使って星の内部や宇宙全体を「見る」こともできます。太陽で作られる太陽ニュートリノを観測することより、太陽内部の活動を直接知ることが可能になります。あるいは、超新星爆発からのニュートリノをとらえることにより、星の爆発過程の詳細を調べることができます。また、宇宙の始まりから起きてきた数多くの超新星爆発由来のニュートリノを捉えることによって、宇宙の歴史を探ることができます。

 

 超新星爆発が「近くの星」で起こった場合は、一時的に大量のニュートリノが飛来することが予想されます。このようなイベントにも対応出来るようなコントロールモジュールの開発も行いました。建設期でしたので、鉱山内での肉体労働(7日間のシフトが2ヶ月に1回ぐらい)にも参加。20インチPMTは、浜松フォトニクスで生産されるのですが、月産200本ぐらい。インストールまで保存しておくスペースがないので、毎月のように神岡に納品さます。(貸倉庫を借りるお金がありませんでした)それを鉱山内の旧坑道に棚を作って保存しましたが、これらの作業は我々物理屋が行いました。(大きな真空管構造なので、破損の際の怪我などが心配なため、原則として学生にはやらせなかったわけです。)

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 直径40m高さ40m円筒形の水タンクが鉱山内に出来た後は、測定器PMT11,200本のインストール作業。一週間の仕事(肉体労働)を終えてつくばに帰ると頭の中が「空っぽ」になっていました。実験開始後の実験シフトは他の実験と比べ楽です。ただし、一週間神岡に缶詰。書き物などの内職仕事がはかどりました。(アトラス測定器のTDR: Technical Design Report の執筆は神岡でかなりやりました) 日中は鉱山内コントロールルームで一人でシフト、夜は、たまたま戸塚洋二先生(当時 宇宙線研究所所長)がいらっしゃっている時などは夜の晩酌をともにさせていただきました。

 アトラス実験の建設に専念するため1988年末でやめました。辞めることを戸塚先生に伝えたら大変怒られたことが良い思い出になっています。

 

CERNでのLHC加速器による研究

 

 Q: またジュネーブの欧州合同原子核研究所(CERN)に長期間出向され、物質の 最小単位である素粒子を調べる「アトラス検出器」の担当者として活躍されました。世界中から最先端の研究に携わる学者や研究者が集うCERNでの研究やお仕事はどのようなものでしたか?

 スイスやフランスでの研究生活や思いで、当時の苦労話なども含めて教えてください。

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A:(佐々木修氏)

 1994年から現在にいたるまで、CERNでのLHC加速器による研究に携わってきました。LHC加速器を使ったアトラス実験には、当初から参加しております。幸いにして、1995年に日本政府はLHC加速器建設に協力することを宣言し(同年6月23日のCERN理事会で与謝野馨文部大臣(当時))、正式なプロジェクトとしてスタートを切ることが出来ました。CERN非加盟国では日本が建設協力の先陣をきり、その後米国等の協力表明が続き、LHC計画が全世界的規模のプロジェクトになりました。私は、日本が担当した測定器の1つであるミューオン測定器を担当しました。測定器本体の1/3は、日本で製造されました。また、この測定器用のトリガー・読み出し回路のほとんど全てを日本が担当し、その代表が私でした。2005年ぐらいまでは、アトラス実験の会議等でCERNを往復しておりましたが、仕事の中心は日本で、測定器用エレクトロニクスの開発、製造、検査を行いました。

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(2016.6  アトラスコントロールルームでの写真)

 

 2005年ぐらいからは、CERNでの測定器のインストール作業が本格化し、日本での製造に目処がついた2006年春からはCERNに隣接しているSt. Genis Pouilly(フランス)という町にアパートを借りて単身赴任生活を始め、現在に至っております。11年目に入りました。

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(2005.9  エレクトロニクス系試験のため共同研究者(イスラエル)来日。我が家でのBBQパーティー。)

 測定器本体の組み立て作業は、イスラエル、パキスタンからの人たちと、イスラエル、日本及びCERNの物理屋とエンジニアが行いました。測定器用エレクトロニクスのインストールとその検査作業は日本人(物理屋、エンジニア及び大学院生)で行いました。勿論、データ収集システムのソフトウエア開発なども全てです。2008年秋のLHC加速器の最初のビームに何とか間に合わせることが出来ました

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(2016年6月LHC加速器のtechinical stop 時に故障エレクトロニクス交換の為にアトラス測定器cavernに入構時の写真。安全靴、ヘルメット、線量計、高所作業用ハーネス着用。)

 

 最初のビームは超伝導電磁石の超伝導材の接合不良による大規模なヘリューム漏れ事故により1週間あまりで中止となってしまいましたが、その対処のため約2年の研究実験が休止となりました。この間に、われわれ実験サイドとしては、宇宙線などを用いて測定器の調整、ソフトウエアの開発を行いました。我々の担当した測定器のみでも、100カ所以上のケーブル接続ミスを発見しました。不幸中の幸いでしょうか、コミッショニングに充分に時間を割くことが出来ました。

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(2007.3 測定器インストール・検査 現場 (CERN))

 

新粒子「ヒツグズ粒子」を発見

 

 実験が再開して程なく新粒子と思われる兆候が観測され、後に「ヒッグス粒子の発見」として発表することが出来ました。2014年の休止期間中には、加速器・測定器の改良作業が行われ、2015年から2018年は実験が継続する予定です。2019年から約2年間の休止がありますが、この間にLHC加速器及び各測定器の大幅な改良が行われる予定です(Phase-1 Upgradeと呼ばれています)。

 また、2024-2026年にも更なる加速器の増強と測定器の大幅な入れ替えが計画されております(Phase-2 Upgrade)。Phase-1 Upgradeを見とどけ、Phae-2 Upgradeに道筋を付けて退職出来ればと思っています。

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 アトラス実験には数千人の物理学者、学生やエンジニアが関わっている訳ですが、実際の測定器の保守・運転・開発に関わっている(関われる)人の数はかなり限られた物に成ります。学生は自身の博士論文もありどうしても物理解析に偏る事になります。ある意味確立したツール・手法を用いてのデータ解析に終始することになりかねないのが、大規模実験に従事する学生の傾向です。広い視野・知識を身につけた学生を育てて行く必要を痛感しています。

 

 幸いにしてかなり早い段階でヒッグス粒子を発見することが出来ました。しかし、これはLHC 実験の始まりでしかありません。2018年迄の実験RUN2の期間に新粒子・新現象の兆候なりともつかみたいと思っています。それが、ILC実験の想定エネルギー範囲であれば、ILC計画推進の追い風になるものと考えています。

 

物理学者主体でのILC建設立地候補地選定を評価

 

Q:岩手県や奥州市が誘致を目指す国際リニアコライダー(ILC)は宇宙誕生の秘密を探る素粒子物理の国際研究センターであり、その建設に期待が集まっていますが、北上山地にILCが建設される意義と、その果たす役割、どのような課題があるとお考えですか?

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ILC(国際リニアコライダー; International Linear Collider)計画は、全長約30kmの直線状の加速器をつくり、現在達成しうる最高エネルギーで電子と陽電子の衝突実験を行う計画です。宇宙初期に迫る高エネルギーの反応を作り出すことによって、宇宙創成の謎、時間と空間の謎、質量の謎に迫ります。超高エネルギーの電子・陽電子の衝突実験をおこなうため、現在、国際協力によって設計開発が推進されている将来加速器計画です。

 

A:(佐々木修氏)

私が参加しているLHC・アトラス実験とILC計画の目指す物理は同じです。少し乱暴な言い方をすれば、ブルドーザーで広範囲に渡って探索するのがLHC で、スコップで丹念に探索する、詳細を調べるのがILCだと思います。相互補完の関係にあると思います。ILCは名前の通り直線加速器からの電子、陽電子を正面衝突させるもので、高度な加速器技術を必要とし、立地条件としても安定な地盤を必要とします。物理学者主体で建設立地候補地を科学的に選定したことを私は大いに評価しています。

 CERNは60年以上の歴史を有する世界最大の研究所であり、ジュネーブという街の国際性は言うまでもありません。ジュネーブ・CERNと比較してもあまりにも無意味です。物理学者はその求める物があれば世界中どこにでも行きます。神岡でもアンデスでも南極でも。

 勿論、千人規模の大研究所になるわけですからソフト面での環境整備は必要になってくるとは思いますが。私は、地元で生まれ育ったせいか特別な課題があるは思っていません。オリンピック誘致で有名になった言葉をお借りすれば、hospitality(おもてなし)。(この言葉は、昔奥州市から頼まれた「ビデオメッセージ」で私が使ったのですが、その後有名な女子アナがオリンピック誘致のスピーチで使っていました。負けました。)その精神で住環境などの整備が徐々に進んでいけば良いのではないかと思います。

 

自由な学園で、仲良しの理数科クラス

 

Q: 郷里、水沢が育んだものとはどんなものですか?水沢高校在学当時、影響力を受けた先生はどんな人たちですか?思い出に残る先生がいらっしゃいますか?またその当時の水高の雰囲気はどんなものだったのでしょうか?

 

A:(佐々木修氏)

 「郷里、水沢が育んだもの」― 正直に言って、あまり考えこと、感じたことはありません。勿論、岩手・奥州市で生まれたことを誇りに思っていますし、同僚に郷土自慢もしますが。スマートに仕事が出来なくても愚直に頑張ってこられたとこですかね?「コミックいわて」なども読んでいます(以前、達増知事がCERNを訪問した際に土産で置いていったのがきっかけで)。

 前述しましたが、私は理数科だったので40人のクラスが3年間一緒でした。そういう意味で非常に「仲良し」なクラスだったと思います(少なくとも私はそう思います)。昨年、卒業以来のクラス会がありました。18名参加しました。下の写真がそのときのものです。

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(2015年9月 クラス会(花巻)の写真です。前列左が私です。)

 

 残念ながら40人中2名が亡くなっております。3年の時の担任だった鈴木登巳夫先生(晩年は奥様の「阿部」の姓でした。2年間物理を教わりました)も2年前にお亡くなりになられたそうです。クラス会では、亡くなられた方々への黙祷を行いました。東京近郊に住んでいる人が多い事もあり、ここ数年は年に数回のペースで会って宴会を行っています。高校時代の友人は勿論、今でも友人で、お互いの事がよく分かっておりかけがいのない存在です。最近、60才に手が届き昔よりも「心の余裕」が出来てきたせいか、お互いに「仕事」に無関係なせいでしょうか。

 「自由な学園」という印象を私は持っています。クラスメートと結構「バカ」もやりました。私は、授業をサボって早退、遅刻を結構繰り返していましたが、鈴木先生からあまりとやかく言われた覚えがありません。家で寝ていたら、鈴木先生が突然自宅の自室の窓を開けて「今日は休みじゃないぞ」と来たことがありましたが。「これから行きます」程度の返事で許してもらいました。田中幸四郎先生には1年生の時の担任で3年間数学を教わりました。

 修学旅行に行く前には「見つかるようにタバコ・酒などをやられては困る」と事前に注意を受けました。授業中に授業とは別の勉強をしていても注意をされたこともありませんでしたし、時にはその質問にまで答えてくれました。両先生ともに、学生の「自己責任」という意味で非常に寛容にご指導いただいたものと思います。このような「指導・教育」が一般的に通用するとは思いませんが。

 

「模倣を戒め創造を最もとす」

 

Q:最後にサイエンスを目指す、水高の後輩の高校生たちに最も伝えたいことは何ですか?

A:(佐々木修氏)

 私のような者がいえる事ではないのですが。我が家には、緯度観測所(現 国立天文台水沢VLBI観測所)初代所長 木村榮先生の書「戒模擬最創造」が在ります(私の曾祖父が先生から頂いた物らしく「寄贈佐々木氏」の為書がついている。「模倣を戒め創造を最もとす」です。同じ物が、木村榮記念館に在ります。

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http://www.miz.nao.ac.jp/kimura/

 高校時代放課後よく緯度観測所に行きました。芝生で野球をしたりクローバーの芝生に寝転がったり(当時は自由に出入り出来ました)。

世の中には、そして自然界には不思議な事がたくさんあります。最初の一歩は文献学、昔は図書館、今はGoogle 検索ですね。とことん調べる。ここまではいわば知識、時には模倣。「理解して正しく模倣する」事も重要です。でも、その次のステップが創造です。こうありたいなと私自身思っています。

(了)

 

 

平成28年度岩手県立水沢高等学校同窓会総会のご案内

 今年度の水沢高等学校同窓会総会を下記の通り開催いたします。お盆を目前に何かとお忙しい折とは存じますが、本総会に御出席を頂きますよう御案内申し上げます。

1 日 時  平成28年8月11日(木)「山の日」

14:00~14:45  同窓会総会

15:00~16:00  講演 「私たちの暮らしと裁判」

  講師:小野寺真也  氏(S63卒) 東京地方裁判所判事

  プロフィール

昭和63年県立水沢高校卒業・東京大学入学(文科第一類,法学部)

平成4年司法試験合格後,東京大学卒業,司法修習。

平成7年判事補に任官。東京地方裁判所のほか,米国(ニューヨーク)留学,釧路地家裁帯広支部,盛岡地裁等で勤務。

平成21年から最高裁判所事務総局総務局第2課長,第1課長。

東京高等裁判所勤務を経て,平成26年9月から現職。

東京地方裁判所商事部で,商事訴訟等の裁判に,裁判長として携わる。

16:20~18:30  懇親会

2 会 場 水沢グランドホテル(奥州市水沢区東町40 ℡0197-25-8311)

3 会 費 \3,000(懇親会費:当日受付にて頂戴いたします。)

※ 当日にご参加をいただく方々の人数把握と名札の準備をいたします関係で、ご参加の有無につきまして、7月29日までに、下記宛てメール及び電話でご連絡をお願いいたします。

(報告例 総会 ○ 講演会 ○ 懇親会 × のように連絡をお願いします)

岩手県立水沢高等学校同窓会

 事務局担当  谷木悌典(S55卒 高校32回生)

学校       電話 0197-24-3152

          FAX  0197-24-3151

      Mail     mizukodousoukai@excite.co.jp